日本のおもてなしと迷惑をかける行為についてオーストラリアから眺めたら

日本のおもてなしと迷惑をかける行為についてオーストラリアから眺めたら

私、最近やっとTwitterの使い方を覚えまして、色んな発言がリアルタイムで読める事に感動してます。海外にいても簡単に興味のある人に繋がれるというのはすごい事ですね。

近頃 SNS上では、アメブロを中心に発言している某スピリチュアリストやカウンセラーたちの「どんどん人に迷惑をかけて良い!」という発言対して論争が巻き起こっているようですが、この言葉をどう思いますか?
パッと聞くと何そのとんでもない話!って感じですよね。

この数年で「自分の欲求に正直になって人にどんどん迷惑をかけていこう」という趣旨の事 (それだけではないですが) を提唱する人が日本で増えて来ていると思うのですが、この従来ではあり得ないような発言に対して炎上もたくさん起こっています。

世の中には本当に色んな考え方の人がいるし、言葉は受け取り方によって色んな解釈が出来るので一概に良いとか悪いとかジャッジするつもりはありません。

でもこの “人に迷惑をかける” という事については、実は私も随分前にオーストラリアでかなりカルチャーショックを受けて考えさせられた体験があり、その時の体験からそれはきっとこういう意味ではないのかな?と思ったのでシェアします。

※ この記事は4月15日に書いたものを10月2日に書き直したものです。

 

スポンサーリンク Advertisement

日本の外に出てみたら

私は日本人はみんながもう少しずつ迷惑をかけ合ったら幸福度が上がるのではないかな、という気がします。個人ではなくてみんながです。

もともと典型的な責任感の強い長女気質だった私は、人に迷惑をかけてはいけない、周りに悪いから頼むくらいなら無理してでも自分でやってしまおう、とギリギリまでひとりで抱え込んでしまいがちな人間でしたので、我慢する人の気持ちも分かります。でもそれって、本当に必要なのかな?と最近思うんです。

例えば次に紹介する私のオーストラリアでの体験は、当時の私には本当に衝撃的でした。
あなたはどう感じるでしょうか?

体験1. 教会にて

この話は2006年6月4日にオーストラリアのケアンズで1カ月だけホームステイをしていた時、スケッチブックに書いていた日記を元に紹介しています。

ホストファミリーのピーターとパトリシアは敬虔なクリスチャンだったので、私も毎週日曜日に行く教会に何度か連れていってもらいました。

正直言って、その頃の私はキリスト教の知識もないし英語も分からないしで、牧師さんの話を聞いたり賛美歌を歌ったりするのはちょっと退屈でしたけど、その後の教会の庭に用意されたお菓子やお茶を飲みながらのおしゃべりタイムは、現地の人たちと交流出来る絶好の機会でした。

そしてその時に目撃した出来事が、ずっと心に残っています。
以下がその日記の内容です。

2006年6月4日、日曜日のとても寒い朝

私はホストファミリーのピーターやパトリシアと一緒に教会に行きました。
そこで近所に住む彼らの娘夫婦たちとも合流します。

この教会に通っていた人たちはほぼオーストラリア人 (白人) でしたが、中には移民して来たのであろう肌の黒い人もいて、この日出会った小さな男の子と双子の赤ちゃんを連れたお腹の大きな女性も、そんなひとりでした。

パトリシアによると、その女性は最近旦那さんとアフリカからオーストラリアに移住してきた人で、現在4人目を妊娠中なんだそうです。

そう言えば、この間パトリシアにアフリカから移住して来た人たちの野外ショー?のようなものに連れて行ってもらったので、ちょうどケアンズにたくさんの移民が入って来ていた時期だったのかもしれません。

パトリシアは彼女の双子の赤ちゃんのひとりを抱きあげると、あやし始めました。
(アフリカの女の人が赤ちゃんを抱えていたのか、ベビーカーを使っていたのか忘れました。ホームスティで緊張してたので、この頃ほとんど写真を撮ってない為に記憶もところどころ曖昧。)

それからずっとパトリシアは、私と同い年の彼女の娘と一緒にお祈り中もその後のティータイムの時もその赤ちゃんをあやし続けました。時々旦那のピーターと交代しながら…。

ティータイムのイメージです

お祈りの最中に赤ちゃんが泣き出したので外に出てあやすというハプニングもあった中、当の母親である女性は何をしているかというと、始終他の人とのおしゃべりに花が咲いて夢中な様子。
もうひとりの赤ちゃんも他の人が面倒を見ていました。

私は不思議な気持ちでその光景を眺めていたのですが、しばらくすると別の女性がパトリシアの所へ来て、「そろそろ休憩したい?」と聞いて来たので「そうね、じゃあお願い。」と赤ちゃんをその人にバトンタッチしてました。
つまり、みんなで女性の赤ちゃんの面倒を見ていたんですよね。

パトリシアは私に「あの人は子供がたくさんいて大変だから、少しくらい息抜き出来る自由な時間が必要なのよ。」と説明しました。

この光景に私は驚いたんです。

まず母親の態度!肉親ならともかく、母親が他人に赤ちゃんを預けて気兼ねなくおしゃべりを楽しんでいられるなんて、私なら申し訳ないのと人目が気になるのとで絶対に無理!しかも、赤ちゃんを預けられた人たちも快く長時間面倒を見て、女性がおしゃべりを楽しんでいるのを暖かく見守ってるなんて…。

教会にいる間、自分の子供にほとんどノータッチだったその女性は、おしゃべりを充分に楽しんだ後「ありがとね!」とカラッとした感じで帰って行きました。

日本だったら「自分で面倒見きれないなら産むなよ。大変なのは自己責任!」とか言われそうなものです。

他人に赤ちゃんを預けておいて、気兼ねなく自分はおしゃべりを楽しむ事が許される環境があるオーストラリアはすごいなあと思いました。

これがクリスチャンのコミュニティ?これが普通なのでしょうか?

ちょうどその時通っていた語学学校の先生が「もし英語で日記を書いた人がいたら、添削してあげるからいつでも持っていらっしゃい。」と言っていたので、先生の意見も聞きたくてラクガキだらけで恥ずかしかったですけど、その日記を英語で書いて提出してみました。(原文は酷い英語なので公開出来ないレベル 笑)

そして戻ってきたコメントはこう。

I love your story Eri! Yes, this is definitely the Christian style. It’s the same in my church too.
あなたの話好きよ、恵理! そうよ、それはまさしくクリスチャンのスタイルね。私の教会でも同じよ。

結局、“迷惑” というのは迷惑と思う人がいるから迷惑行為になるのであって、同じ行為をしても周囲の人たちが迷惑と思わなければ迷惑にはならないんですよね。

もうひとつ例を挙げます。

体験2. ツアーにて

2007年7月、メルボルン発のグレートオーシャンロードツアーに参加しました。

名所の12人の使徒 (Twelve Apostles)

現地のツアー会社から予約したので参加者は国際色も強く、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、韓国、日本となかなか多国籍な7人くらいのメンバーで、ガイドさんは若いオーストラリア人男性でした。

驚いたのは、参加者の中にイギリス出身の車椅子に乗った若い女性がいたんです。

彼女はひとりでオーストラリアを旅行しているのだそうで、この後はアデレードに滞在して、エアーズロック、ダーウィンに言った後はシドニーに行く予定だと言っていました。

すごいなと純粋に感心したのですが、これがもし日本として当てはめたらまずツアー会社に断られそうですし、親や周りの人も心配するだろうし、本人も遠慮して行動を制限してしまうのが普通ではないかなとも思いました。

グレートオーシャンロードのツアーは車椅子が通れない道も多かったのですが、その女性はゆっくりつたい歩きならなんとか歩けるので行けそうな場所はなるべく参加して、いよいよ無理そうな険しい道はバスの中で待っていました。

私と同じくたまたまそのツアーに居合わせた参加者のメンバーもみんな協力的で、車椅子を用意したり押したりとにかくみんなその子に対して普通に優しかったです。

特に髪に派手なメッシュの入ったアメリカ人のお姉ちゃんは、ずっとその子の事を気にかけて何かとヘルプしてました。

その子がゆっくりしか歩けないので、しばらくみんなで待っていないといけない事もありましたし、多分日程も若干押したのではないかと思いますが、文句を言うような人は誰ひとりもいませんでした。

こういう環境があれば、車椅子でも挑戦出来るかも!と思えるかもしれないですよね。

日本人も自ら率先してやるのは躊躇しがちですが、周りがこういう雰囲気だと自然と協力的になります。

 

スポンサーリンク Advertisement

人に迷惑をかけるって何だろう?

もし自分が足が不自由でも堂々と一般のツアーに参加出来るでしょうか。私だったら、恐縮してしまって旅をあきらめるかもしれません。

それでなくても日本って妊婦さんや障害を持った人に冷たくないですか?妊婦は病気じゃないから甘えるなとか、障害があるなら外に出るなとか、そういうのよく聞く気がするんですが。

日本人は、良い意味でも悪い意味でも人の目を気にし過ぎるし頑張り過ぎだなと思うのです。

基本的に日本人は「人様に迷惑をかけては申し訳ない」と気を遣いますが、他人に迷惑をかけて来人に対しても「迷惑かけるな!」と厳しくなってしまいます。

自分が無理して頑張っていると、我慢をしている分、弱い立場の人に対して無性に腹が立つんですよね。

でも面白いもので、オーストラリアの人は歳をとったら自分から老人ホームに入る事を希望したり、子供の家族との同居を嫌がって一人暮らしをしたりしている人も多いです。日本と逆ですよね。

基本的にオーストラリア人は言いたい事は言うし、長期休暇もよく取るし、時々日本人としては引いてしまうくらい自分の欲求に正直だったりします。だから良い意味で自立しているので、他人と良い距離を保てるのかもしれません。

私は勤勉で真面目な日本人が大好きですが、ライフバランスや幸福度を考えた時にオーストラリアに見習うべき所は色々あると思うのです。

日本のおもてなしは世界一?

近年オーストラリアでは日本への旅行が一種のブームになっていて、今の職場のお客さんからもよく日本に行った話を聞きます。

大体の人は「日本はものすごく良かった!最高のおもてなしだったよ!」とベタ褒めです。

私も日本の接客は素晴らしいと思いますが、日本で接客業にも携わっていた人間としては少し複雑な想いもあります。というのは、その素晴らしい接客の裏には色々とそうせざるを得ない理由があるからです。

気持ちの良い接客をしてくれる人はたくさんいますが、作り笑いとかマニュアル通りとかは見てて分かりますし、“お客様は神様” という言葉が濫用されている日本では、お客さんからクレームが入る事を異様に恐れます。

笑顔を作るのはなるべくクレームを防ぐ為だし、丁寧な接客もしっかりやらないとすぐクレームが来るから。
そして、明らかにお客さんの八つ当たりでも「申し訳ありませんでした。」と頭を下げないといけないのは何故?

私の父も「店員に笑顔がない」ってコンビニにクレームを入れたらしいですから、彼がシドニー来たらきっと発狂しますね。

こうやってみんな本当の感情を押し込めてストレスを溜めてるから、自分よりも弱い立場の人に優しくなれないのは仕方ないのかもしれません。

自分は辛いのを我慢して一生懸命頑張っているのに、頑張ってない人を見るとイラッとするのは当然でしょう。

福祉の視点から

オーストラリアの福祉は進んでいると言いますが、確かに子供向けの番組に車椅子設定の着ぐるみキャラクターがいたのには驚きましたし、最近新しくなったオーストラリア紙幣には目が不自由な人の為に点字が付けられています。

そんなオーストラリアでは、最近日本で看護婦をしていた人たちがオーストラリアの病院でアシスタントとして働くシステムが人気を博しています。

実際に働いている人たちの話を聞くとやはりかなり考え方が違うようで、スタッフもひとりの守られるべき人間として守られているようです。

日本では自己犠牲が素晴らしいという風潮がまだ残っていて、スタッフは下手をするとボロ雑巾のようになってしまいます。

私も福祉職員を6年していたので思うのですが、自己犠牲なんて全然美しくないですよ。だいたい真面目な人ほどクタクタになって精神をやられますからね。
そういう人はまず人の面倒よりも自分の面倒を見てあげて欲しいです。(でも多分、そのやり方が分からない人も大勢いると思う。)

ただ、オーストラリアではちょっと自分を尊重しすぎというか日本人には違和感がある対応の仕方も多いようで、オーストラリアと日本の中間くらいの考え方がちょうど良いのではないか、というのがどちらも経験した事のある人の共通した意見ですね。

おわりに

私は28歳まで日本で社会人をしていたので、つい最近まで思考もバリバリ日本人でした。

でも、私の働き方は日本人社会で生きやすいように自分でカスタマイズしていったもので、日本仕様だったなあ、と気付く事があります。

私が新人の頃は色んな所で色んな先輩方からビシバシやられていたので、耐性のない今の若者たちを見るとやっぱり「最近の若い人たちは…」と言いたくなる事もありますよ。

でもイラッとする事って、自分はやりたくないのにやってたのにとか何か押し込められた感情があるはずなので、そしたら今からでも自分も許せる範囲でやったら良いんですよ。

罪悪感を感じずにちょっとだけ自分を甘やかして、少し迷惑をかけても受け入れてもらえるんだと分かったら、逆に人にもお互い様だからと思えてきます。

みんなお互いもう少し迷惑をかけ合えば、お互い少し楽になるかもしれないですよね。

ただし本当に迷惑と思っている人に迷惑行為はやるべきではないし、お金をもらっているのにいい加減な仕事をするプロ意識がない人は論外ですけど。

そんな話でした。