プロローグ. オーストラリアに行くと決めてから

プロローグ.  オーストラリアに行くと決めてから

私、本当にオーストラリアに行くんだよね~!?

飛行機に乗ってもまだオーストラリアのイメージが出来なくて、数時間後にはオーストラリアにいるなんて、とても信じられませんでした!

オーストラリアにワーキングホリデーに行こうと決めてからすでに2年が経過。
仕事の都合やらお金の都合やら、父親の大反対 (今思い出しても胃が痛い) やらで、ずっと夢に足踏みして来たこの2年。

 

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ワーホリを目標にしていた2年間

私の海外旅行経験は本当に少なくて、短大の研修旅行で韓国と福祉の視察という名目で北欧とフランスにちょっとだけ滞在した事がある程度。
こんな私が大胆にもオーストラリアに1年滞在する日が来るなんて。

渡豪する前の最後の1年は、ただひたすらオーストラリアに行くことばかり考えて、寝る間も惜しんでバイトを昼も夜も詰め込みました。

深夜0時から朝までファミレスで働いて、昼間はそのままカフェや結婚式会場のウエイトレスの仕事、その隙間時間に別の仕事や英語クラスを予約して勉強してた、いつも眠かった日々。
睡眠時間なんてほどんどなくて、合間を見つけて仮眠を取る感じでした。

「今日もまた駐車場に車を止めて仮眠とってたの?」

イギリス出身の背の高いジョン先生は、いつもクラスの中で私にそう聞きながら笑ってました。

24時間寝てないなんて事も度々ありましたが、でもオーストラリアに行く為だと思ったらちっとも苦にはなりませんでした。

だって、オーストラリアでは色んな経験をしたかったので資金はあればあるほど良いし、英語だって皆んなが楽しい相談してるのに理解出来なかったらもったいないでしょう?

旅行者のバイブル『地球の歩き方』は、買ってからすでに2年経っていたので最新版ではなくなってました。

きっかけは英語だった

そもそも私がオーストラリアに来ようと思ったきっかけは、26歳の時に通い始めた英会話教室でした。

福祉施設の支援員をしていた私もこの頃には中堅職員の立場となり、仕事は好きでしたがとても忙しい日々を送っていて、趣味の旅行もする時間がほとんどなくなり、ストレスが溜まってました。

何の為にこんなに頑張って生きてるんだろう?と思っていた時に、たまたまショッピングセンターで目に飛び込んで来たうさぎのキャラクターで有名な英会話の看板。

私は幼い頃から英語に漠然とした憧れがあり、世界中に友達を作るにはどうしたら良いのだろう?と考えていた事もあったのに、大人になった今は海外とは全く無縁の生活。
「きっと今英語を勉強しなければ、仕事に追われてばかりで一生英語が喋れないんだろうな〜」と思ったら何だかいたたまれず、気がついたら入会してました。

でも、これが思いのほか楽しくてハマってしまったんです。

クラスは下から2番目の “英語が喋れない人” レベルから始めたのですが、このレベルは 文法とか発音とか気にせずにとにかくしゃべることに慣れるのが主な目的なので、何をしゃべっても外国人の先生に「Good !」と褒めるので、それが良かったようです(笑)

少人数制なのでしゃべる機会も多く、「次の授業では何をしゃべろうかな〜♪」とウキウキで、授業以外でも結構自分から色々勉強してましたが、それは次の授業がもっと楽しくなる為でした。

それに学校がショッピングセンターの中だったので、授業が終わった後にお気に入りのレストランで夕食を取りながら英語の復習をするのが、何よりも楽しみな日課となってました。

クラスレベルが上がるほど、それに合わせて文法や言い回し、発音など注意されるようになるのですが、その頃には英語での会話は楽しいというイメージが定着しているので苦ではありません。

こうして私は、仕事に全く関係ない事に没頭する事で見事にストレス解消する方法を見つけたんです!
…が、だんだん本業よりも英語圏の国で生活してみたいという気持ちが膨らんできました。

私にとって英会話スクールはとても刺激的な場所で、必然的に海外に目を向けた人たちが多く集まるので、そういう人たちから身近に海外の話を聞くうちに「海外生活は遠い存在と思っていたけどもしかしたら自分も出来るかもしれない。」と思うようになっていきました。

あの頃は今ほどネットも普及してませんでしたから、今よりも人からの情報は大切でした。

それから私と同じようにワーホリに行きたい、もしくは行ったという友達も出来て、一緒に外国人の集まる所に行ってみたり、噂を聞けば会いに行ってみたりとかして、その気になれば日本でも多国籍な知り合いが出来るのだと知ったのは新たな発見でした。

私が住んでいた大分県の別府市は、アジア立命館大学の影響で外国から来た人たちがたくさんいるんです。
英語のお陰でかなり世界が広がりました。

実は東京タワーよりも古い別府タワー

こうして父親の大反対を受けながらも、ますますワーホリ熱が高まって行きました。
ワーホリ日記なるものを作ってその想いを綴っていたのもこの頃です。

オーストラリアを選んだ理由

でもぶっちゃけ言ってしまうと、別にオーストラリアに特に興味があった訳ではありませんでした。
オーストラリアはそれこそダウンアンダー はないけど田舎ってイメージでしたから。(田舎出身者は都会に憧れるんです。)

でも私の経済力で海外に長期滞在しようと思ったら、仕事もできるワーキングホリデーが一番現実的です。

当時のワーキングホリデー提携国で英語圏となると、まずイギリスは25歳までだったのでダメ。カナダは寒すぎる、ニュージーランドは田舎すぎる、シンガポールはまだありませんでした。消去法で考えたらオーストラリアしかなかったんです。

何とも微妙な理由ですが、意外に私と同じ理由でオーストラリアを選んだ人って多いみたいですね(笑)

日本にいる時、ある占い師から「あなた、オーストラリアと相性が良いですよ!すごく縁があります!!」と言われても、九州LOVEなので自分の本拠地は日本だとずっと思っていたのに、まさかこの国にずっと残って暮らす事になるなんて、ね…。

私は大人になったら旅行が大、大、大好きになってしまい、九州内はかなり旅行しまくっていたので、もしオーストラリアに来なかったら今頃は 『Down Under オーストラリア”』じゃなくて 『九州Loveブログ”』になっていた事でしょう(笑) いや、間違いない!

だからオーストラリアに行くと決めた時も、英語圏で暮らしてみたいというのもありましたが、大きなモチベーションのひとつが旅行でした。

その旅行の資金を稼ぐ為なら、どんな事でも頑張れました。
まだ若かったから。

そしてついにその日が来た

地元の大分駅から新幹線に乗って関西空港まで6時間くらい。
ちょうど数ヶ月前に福岡→ケアンズ便がなくなったので、大阪まで行かないといけなくなってしまったので、ちょっとした小旅行です。

やっとのことでオーストラリア行きの飛行機に乗り込んだ時は、ホッとひと安心。

たまたま私の席の隣に座った日本人の男の子は、オーストラリアの田舎にホームスティすると言ってテンションが高めで、私たちは初対面にも関わらず、飛行中の6時間ずっとしゃべってました。
お互いレッチリファンという事が発覚して、当時発売されたばかりのアルバムを彼のmp3で聴かせてもらったのを思い出します。

…この長い長い助走期間の後、目が回るくらいの急展開で物事がどんどん進んでいきました。
こんなに時間が経っても、あの時のことはよく覚えているんですよね。

結局、この後ワーキングホリデービザを1年から2年に伸ばして、今度はニュージーランドにワーホリに行ったり、学生ビザで滞在したり、最終的に永住権を取得しオーストラリアに10年以上住むことになるのですが、この時はまだ何も知りませんでした。