アイルランドのお祭りセントパトリックスデーを徹底解説

3月17日は、アイルランドのお祭りセントパトリックスデー(St Patrick’s Day) です。

このサイトはオーストラリアについての情報を発信していますが、多民族国家のオーストラリアでは必然的に他の国文化にも触れることになります。

その中でも特にこのセントパトリックスデーは、オーストラリアにしては比較的に大きく、歴史も古いイベントです。

ということで、今日はオーストラリアでも祝われているセントパトリックデーについて、アイルランドやアメリカの歴史と一緒に詳しく紹介します。

 

セントパトリックスデーって何?

St Patrick’s Day

セントパトリックスデーは、5世紀頃にアイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックの亡くなった日を祝う、アイルランドのお祭りです。

本場のアイルランドは祝日となり、首都ダブリンでは5日間にわたる盛大な St. Patrick’s Festival が開催されます。

アイルランド移民は世界中に散らばっている昨今では、世界中でセントパトリックスデーが祝われるようになって来ていて、日本でもパレードが行われている地域もあるようです。

オーストラリアもアイルランド移民が多いので、シドニーでは毎年そこそこ大きなイベントが行われていますし、メルボルンでも2019年からセントキルダでフェスティバルが開催されるようになりました。

オーストラリア (シドニー) のセントパトリックデー

オーストラリアでセントパトリックスデーが盛大に祝われるのは、今のところ主にシドニーです。

といっても祝日ではありません。

なので、もし17日が平日ならイベントは17日周辺の日曜日に行われます。(ただし、毎年恒例のオペラハウスの緑色ライトアップは17日です)

2019年はちょうど17日が日曜日でしたが、2018年の17日は土曜日だったので、シドニーでは18日の日曜日にムーアパークでイベントが行われました。場所もちょこちょこ変更されていて、2019年からはロックスで定着しています。

パレードや催し物など様々なイベントがあるので、公式ウェブサイトや私が2023年に書いた記事などを参考にしてみてください。

シドニーとニューサウスウェルズ州の観光ブログ

 

シドニーのイベントでは、みんな緑の服を着てアイルランドの食べ物やビールなどの出店を楽しみつつ、アイリッシュダンスなどアイルランド関係の催しを観るといった感じです。

そう、セントパトリックデーのシンボルカラーは緑。この時期が近づくと緑色のグッズが売られているのを目にしたり、緑色の物を身に付けた人たちが当日たくさん歩いているのを見掛けたりします。

基本的にアイルランドの人たちって、いつも仲間とお酒をたくさん飲んでいるイメージがありますが、当日はアイリッシュパブも凄い事になります。

かなりの人混みで入場制限もあるかもしれませんので、もし行くならパスポートなどの身分を証明できるものを忘れないようにしてください。

シドニーのシティにあるありリッシュパブは、 Scruffy Murphy’s、P.J.O’Brien’s などがあります。

ロックスの、かつてアイルランドの人気ロックバンド U2 も泊まったと言われるアイリッシュパブ Mercantile Hotel に昔行ったことがあるのですが、かなり並びました。

シドニーのセントパトリックスデー

シドニーにおけるセントパトリックスデーの歴史は意外に古く、1788年に西洋人がシドニーに入植してから18世紀後半には言及されていたようです。

流刑囚だけではなく自由移民が増えるに連れて、下層階級、上流階級共にイベントは大きくなっていき、1825年には Bellevue Hill に新しく出来た競馬場でセントパトリックスデーの競馬が行われました。

時に『National Hibernian Festival』もしくは『St. Patrick’s festival』と呼ばれながら、礼拝、パレード、ピクニック、コンサート、ダンス、スポーツなど、様々な形で祝われていて、1864年から1867年まではシドニーの祝日となったこともあったようです。

1858年のピアモントブリッジ開通の時には一部的なホリデーと称して町中がお祭り騒ぎになったそう。

(参考: Short History of St Patrick’s Day in Sydney)

 

でも、いちばん盛大に祝われるのは、何といってもアメリカです。

アメリカのイベントと比べるとオーストラリアは規模が小さく、知名度も低めと言わざるを得ません。(何年もシドニーに住んでるアジア人が、緑色の人たちを見て何だろう?と思う程度に)

アメリカのセントパトリックデー

St Patrick’s DayPhoto by Pixabay

アメリカのシカゴでは、当日に川が緑色になったり、シカゴ警察のバッジがこの日仕様になったりするようです。Wikipedia によるとウィスコンシン州のニューロンドンでは、この期間中だけ町名が「ニューダブリン」になるとも。

更に、その日に緑色の服を着てない人はつねられるのだとか。

でも何で本場のアイルランドじゃなくて、アメリカ?って思いませんか。

それは、セントパトリックデーのパレードを始めたのはアメリカ合衆国からだったからです。

パレードの始まりはアメリカ

セントパトリックデーのパレードが世界で最初に行われたのは1762年。祖国を遠く離れたアイルランドの兵隊がニューヨークの町を行進したのが始まりでした。

独立戦争前のアメリカで、もうすでに行われていたという事ですね。

その名残か、現在でもそのニューヨーク州のマンハッタンでは世界で一番大きなパレードが行われているそうです。

セントパトリックデーの食べ物

他にもアメリカには、当日コーンビーフとキャベツを煮た物を食べる習慣があります。

けれど、これはアイルランドで食べられてる料理という訳ではなく、正確にはアメリカのアイルランド移民が食べていた料理です。言わばアメリカ風アイルランド料理ですね。

Mmm… corned beef and cabbage January 27, 2015 by jeffreyw

アメリカに移民して来たアイルランド人たちは、アイルランドでよく食べられていた豚がアメリカでは高価で買えなかったので、コーンビーフで代用しました。そしてジャガイモよりもコストパフォーマンスの良いキャベツが使われたそうです。

なので、もともとはアイルランド料理と言えますね。

緑色のビール

それから、この日が近づくとアメリカやヨーロッパのパブなどで売られるという緑色のビール!

着色料を使う所もあれば、ブルーキュラソーの青いリキュールを混ぜて緑色にする所もあるそうです。
なるほど、黄色いビールと青いリキュールを混ぜれば緑になりますよね!

オーストラリアでも提供しているパブはあるようですが、人だかりがすごかったりすぐに売り切れたり。

じゃあ自分で作ろうか…?と一瞬考えましたが、わざわざビールを緑色にするくらいなら MIDORI とかメロンリキュールとかで良くない!? と言う結論に達しました(笑) あはは。

セントパトリックデーのシンボル

さて、セントパトリックデーには様々なシンボルが登場します。ではどんなものがあって何故それがシンボルとなったのか、順番に紹介していきます。

緑のシンボルカラー

まずはいちばん目につくのは緑色のシンボルカラーです。

どうして緑なのかというと、アイルランドは『The Emerald Isle (エメラルドの島)』と呼ばれるほど緑が豊かな土地だからです。

そして、そのアイルランドの緑色を形成するのは、アイルランド中どこでも見つけられるというシャムロックという植物なので、そのシャムロックもよくシンボルとして使われます。

シャムロックとは

シャムロック (Shamrock) はアイルランドを象徴する植物で、アイルランド国花でもあります。

基本的に三枚の葉が付いてるものは全てシャムロックと呼ばれるらしく、シンボルとして使われているシャムロックは三つ葉のクローバーと同じ植物だそうです。(ただしアイルランド人の前ではシャムロックと呼ばないと怒られるようなので要注意。)

かつて聖パトリックがこのシャムロックを使って、キリスト教の教義である “三位一体” をアイルランドの民衆に分かりやすく説明したという伝説も残っています。

三位一体とは簡単に言うと、父なる神・子であるイエスキリスト・精霊(スピリット)は三つでひとつであるという教えで、三つ葉が茎でひとつに繋がっている、と説明したんですね。

もともとアイルランドのケルト民族の間では3という数字は特別な力があると言われていて、良い物は3つあると言い、神聖なものとされて来ました。

アイルランドのケルト音楽も三拍子のものが多いのもその為だとか。

だから、キリスト教布教に三位一体を取り入れた事によって、当時のアイルランドの人たちの心はぎゅっと掴まれたのかもしれません。

レプリコーン

レプリコーン、レプリカン、色んな日本語の呼び方があるようですが、英語ではLeprechaunと書きます。これもよくセントパトリックデーの象徴とされるアイルランドの妖精で、彼の服もやはり緑。

妖精と言うとかわいい女の子っぽい響きですが、セントパトリックデーの妖精は小さなおじさん。

緑色の服を着て赤いヒゲを生やしている絵を描かれる事が多いこの妖精は、実は靴職人。

伝説によるとこの妖精は、孤独で不親切で、ひとりで靴を作って暮らしてるそうです。その一方で動きが素早く人をつねったりとかいたずらが大好きと言う話もあります。

彼は金貨の入ったツボを虹の端っこに隠していて、この妖精を捕まえる事が出来たら幸せになれるという言い伝えもあるそうなので、彼をみ見つけたければ靴を作る槌の音を頼り探せば捕まえられるかもしれませんよ。

捕まえたらよく見張っててくださいね。一瞬でも目を離したら消えてしまうようなので要注意です!

 

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アイルランドのセントパトリックデー

さて、アメリカやオーストラリアは分かりましたが、本場のアイルランドではどのような感じなのかも知りたいですよね。

聖パトリックの没後、アイルランドでは何世紀にもわたって3月17日にはミサに行く習慣はあったそうなのですが、この日が正式にアイルランドの祝日として制定されたのは意外に遅くて、1903年です。

首都のダブリンの国を挙げての大きなお祭りは1996年からと、ごく最近です。

その背景には飢饉や戦争、イギリスからの独立など様々な試練があり、アイルランドが国として落ち着き始めたのが1990年代頃だったという時代背景もあったようです。

90年代後半から次第に賑やかになっていき、だんだんと世界で知られるようになっていくのです。世界中でお祝いしてもらえるアイルランドって、すごいですね。

聖パトリックって、どんな人?

ここまでアイルランドの人々に愛されている聖パトリックとは、一体どんな人だったのでしょうか?

彼に関しては色々な伝説が残されているのですが、特に有名なのが “聖パトリックが神から受けた毒ヘビの呪いを解いて、すべてのヘビをアイルランドから追い出した” と言う話。アイルランドにヘビがいないのはその為だそうです。

そんな事が出来る聖パトリックって一体何者⁉︎と思いますよね。

実は彼、アイルランド人の英雄的存在として崇められていますが、アイルランド人ではありません。

出生の年や場所もはっきりとは分かっておらず諸説はあるのですが、彼が生まれた時代はおそらく4世紀後半頃。当時ローマの支配下だったウェールズかスコットランド辺りで生まれたと言われています。

何しろ5世紀頃の話なので彼に関しての正確な記述がなく、彼の自叙伝である『Confessio』を唯一の手がかりとして推測するしかないそう。

それによると、彼の本当の本名はおそらく Maewyn Succat。(ラテン語にしたらPatriciusとなり、後にPatrickとしてなじんだのではないかと言われてます。)

パトリックの人生

祖父はカトリックの司祭で父親は将校という裕福な家庭で育ったパトリックでしたが、あの運命の日が来るまで彼は他の子と何ら変わりがない普通の子供でした。

パトリックが16歳だったある日、アイルランドの海賊がやって来て、たくさんの人たちと一緒に誘拐され、多くの人がアイルランドで奴隷として売られていきました。

パトリックを買ったのはアイルランドのゲール族。彼は羊飼いとして投獄生活のような暮らしを強いられ、6年の歳月が流れていきます。

そんな悪夢のような生活の中、パトリックは神に祈りを捧げることに多くの時間を費やすようになりました。そしてある日、神様が夢の中に現れてこう告げました。

「お前の為に船が海岸で待っているから、ここから脱出して家に帰りなさい。」

その言葉に従って無事脱出を果たした彼は、無事家に戻る事が出来たのです。

その後、パトリックは更にキリスト教を学ぶ為にフランスへ行き、修道院で12年間の学びに費やし司祭となりました。

そんなある日、また不思議な夢を見ます。

それは、アイルランド人が彼に「アイルランドに戻って来て神について語って欲しい」と頼む夢でした。

アイルランドはパトリックにとって嫌な思い出しかない土地。それでも彼は再びその地を踏む事を決意し、異教徒の多かったゲール族たちを相手に布教活動を始めます。

そして、シャムロックを使って三位一体を説明するなどケルト人の文化にも融合しながらキリストの教えを説き、何千人もの人たちが改宗していきました。そのうち王家の中にまで改宗者が現れるようになります。

面白くないのは、当時ケルト社会の宗教や政治を取り仕切っていたドルイド (Druid) と呼ばれる人たちです。彼らを敵に回したパトリックは何度も逮捕されましたが毎回逃げおおせ、数十年かけてアイルランド全土に修道院や教会、学校を建てていました。

そんなパトリックの功績が多くの人々に受け入れられ、3月17日 (正確な年は不明) に亡くなった後も伝説としてアイルランドの人々の中で語り継がれていき、それが何世紀も後の現在のセントパトリックデーに繋がっていくのです。

おわりに

何世紀にもわたって語り継がれ、今や世界中で祝われていると言う何ともスケールの大きな話ですね。

民族、宗教、侵略などが複雑に絡むので多少ややこしいかもしれませんが、とても興味深い話です。

3月17日になったら、ちょっと思い出してみてくださいね。

>Acknowledgement to Country

Acknowledgement to Country

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