オーストラリアの歴史において重要な意味を持つ『ユーレカの旗 (Eureka Flag)』

2021年も終わりに近付いて来ていますが、最近はオーストラリア各地でワクチン接種強制やワクチンパスポートなどの問題をめぐってデモが頻発するようになり、おかしな世の中になったものです。

そして、そんなデモの様子をテレビやネットで見ていると、ユーレカの旗を掲げている人がちらほらと目立つようになりました。

ロイヤルブルーの背景に白い南十字星と改革同盟のシンボル5つの八芒星が描かれてた旗、この時期にオーストラリアのニュースをチェックしている人なら見た事があるのではないでしょうか。

この旗、もともとは19世紀に労働者たちが植民地政府に抗議して起こしたユーレカの反乱の時に掲げられていた旗で、この出来事はオーストラリアにおける民主主義の基礎を築いたと言われています。

という事で、今回はそんなユーレカの旗について詳しくまとめました。

Eureka は日本語だとユーレカ、ユーリカ、ユレーカ、ユラーカなど、様々な表記が見られますが、発音解釈の違いです。

ユーレカの旗について

Eureka FlagEureka Flag: Created by Martyman in Illustrator

ユーレカの旗 (Eureka Flag) は、1854年にビクトリア州第三の都市バララット (Ballarat) で労働者たちが起こしたユーレカの反乱で掲げられた旗で、特に12月3日のユーレカ砦の戦いが有名です。

この旗のもとでバララット改革同盟のメンバーたちは、自由と権利を守るために戦う事を誓いました。

以来、ユーレカの旗は平等や民主主義の象徴として労働組合の運動と強い結びつきがありますが、最近では多くの個人やグループが政治的、サブカルチャー的、あるいは個人的なアイデンティティの表現として使用するようになっています。

オーストラリアの国旗変更の話題では、この旗を候補として推す人も。

オリジナルの旗はユーレカセンターに展示されている

Eureka Centre

当時の反乱で使用された実際の旗は、バララット にあるユーレカセンター (Eureka Centre) に展示されています。

綿と羊毛で作られた縦2.6メートル、横4メートルの旗は、当時バララットの鉱山で働いていたカナダ人ヘンリー・ロス (Henry Ross) によってデザインされた事が確認されており、それを聖アリピウスカトリック教会 (St Alipius Catholic Parish) でアナスタシア・ウィザース (Anastasia Withers)、アナスタシア・ヘイズ (Anastasia Hayes)、アン・デューク (Anne Duke) という3人の女性によって作成されたと伝えられています。(諸説あり)

旗はユーレカ砦の戦いが鎮圧された際、警察官ジョン・キング (John King) がお土産として持ち帰り、1895年にバララット美術館に貸し出されるまでは彼の家族によって保管されていました。2001年には彼の子孫によって寄贈されています。

旗の約3分の1が失われているのは、戦いの後に記念品として切り取られたからです。

1973年に大掛かりな修復をしたあと、ユーレカ砦の戦いがあった12月3日に一般公開され、2011年には2度目の修正が行われました。そして、2013年にバララットに戻って来てからはユーレカセンターに展示されています。

この旗は長い間、レプリカではないかという疑いの声もありましたが、切り取られた旗の断片と素材を検証した結果、本物である事が証明されました。

Eureka Centre

ちなみに、このユーレカセンターがあるユーレカ砦メモリアルパーク (Eureka Stockade Memorial Park) は、ユーレカ砦の戦いがあった跡地です。

バララットの中心部から東へ4kmと、喧騒から少し離れた静かな場所にあります。

Eureka Centre
102 Stawell Street South, Eureka (Ballarat), 3350, VIC
https://www.eurekacentreballarat.com.au/
月〜木 10am-4pm
入場料: 大人$6、子供$4、コンセッション$4、ファミリーパス$18 (バララット住民は写真付き身分証明書の提示で無料)

2021年11月現在は、来館時にフル接種証明が必須です。

Eureka Centre遊具もユーレカっぽい

ユーレカという言葉の意味

ところでこの “Eureka” とは、何なのでしょうか。

これは古代ギリシャ語の「見つけた」という意味で、アメリカのカルフォルニアでゴールドラッシュが起きた時、よく「ユーレカ!」と叫ばれていたそうです。

そして、オーストラリアは1851年からゴールドラッシュが始まりましたが、アメリカで金を採掘していた経験がある人たちも多くいた事からオーストラリアでもこの言葉が使われる流れになったのだと思われます。

ちなみに、メルボルン市内にあるユーレカタワーという名前は、ユーレカ砦の反乱が由来しています。

タワーの頂上部の金色は金塊を、赤い筋は反乱で流れた血を、白いラインと青い色はユーレカの旗を表しているそうです。

2005年にスペンサーストリート駅 (Spencer Street Station) からサザンクロス駅 (Southern Cross Station) に名前が変わったメルボルンの駅名も、ユーレカの旗についている南十字星から名前をとったらしいです。

 

では、ユーレカの反乱というのは、どんな事件だったのでしょうか。

 

ユーレカの反乱とは

Eureka Centre

ユーレカの反乱 (Eureka Rebellion) は、労働者が植民地政府に対して行った抗議で、特にユーレカ砦の戦い (battle of the Eureka Stockade) は、オーストラリアにおける民主主義の基礎となった出来事として多くの人々に語り継がれています。

植民地政府に抗議する労働者

1851年、現在のニューサウスウェルズ州とビクトリア州で金が発見され、それにより世界各国から人が押し寄せゴールドラッシュが始まりました。

それに伴ってオーストラリアの人口は増加し、町は活気づき栄えていきました。

しかし、金鉱山の町として知られるバララットやベンディゴの労働者たちは、植民地政府が課した不当な規制や法の執行、法外に高価な採掘許可証などに不満を募らせていったのです。

そして1854年、植民地政府と労働者の間で数ヵ月にわたる緊張状態が続き、労働者たちはピーター・ラロール (Peter Lalor) をリーダーとしてバララット改革同盟 (Ballarat Reform League) を結成。

1854年11月29日にはベーカリーヒル (Bakery Hill) に1万人以上の人が集結し、この時に初めてユーレカの旗も掲げられています。

そして、バララット東の鉱山地域中心に位置するメルボルンに続く道路が見える場所に木材で砦を築き、植民地政府に抵抗。これがユーレカ砦です。

この時もユーレカの旗は砦の中心に掲げられていたと言います。

しかし、この砦はあっさりと破られました。

Eureka Centreユーレカセンターの展示より

1854年12月3日の夜明け前、英国兵と警察部隊276人がバララットの中心部にある政府のキャンプからユーレカの砦に向かって出発。

その時、砦にいた労働者たちはわずか約120人ほどしかいなかったそうです。

日曜日の早朝に攻撃されると思っていなかった彼らは不意をつかれ、戦闘は1時間もしないうちに惨敗という形で終了しました。

この時、少なくとも22人以上の労働者の命が失われていますが正確な死者数ははっきりと分かっておらず、60人はいたのではないかと言う人もいます。警察側も6人が亡くなりました。

こうして13人が反逆罪としてメルボルンで裁判にかけられます。

民主主義の夜明け

しかし、裁判では1名を除いて無罪という結果になりました。

王立調査委員会 (Commission of Enquiry) によって金鉱地帯の管理に関する調査が行われた結果、植民地政府側に非がある事が認められたのです。

この事により毎月要求されていた高額な採掘許可証は廃止の方向へ進み、税制や土地の改革なども見直されて、1855年には労働者にも選挙権が与えられる事になりました。

これがユーレカの反乱がオーストラリアの民主主義の基礎となり、アイデンティティを確立する象徴的な出来事だったと言われる所以です。

 

(参考: 1854 The Eureka Flag | Australia’s migration history timeline / Eureka Flag – Wikipedia など)

ユーレカの旗をめぐる人々の思い

それで冒頭の話に戻りますが、最近はオーストラリアだけではなく世界規模で不満を持つ人たちのデモが頻発しています。

私はそのデモで掲げられるユーレカの旗を見て、ユーレカセンターの人たちや子孫の方々はどう思っているんだろう?と個人的に気になっていました。

ユーレカ砦の反乱は善と悪が分かりやすかったですが、今回のコロナウイルスやワクチン絡みの問題は角度によって見え方が全く変わって来ますし、実際人々の意見も分かれています。

そんな中、ちょうど ABC のEureka flag use at violent demonstrations condemned by rebel’s descendant, Ballarat MPという、ユーレカの反乱で戦った革命同盟メンバーの子孫でありユーレカセンターの前所長でもあるロン・エゲバーグ氏 (Ron Egeberg) の心境が語られている記事を見付けました。

やはりエゲバーグ氏は、今回のデモ活動でユーレカの旗を使って欲しくないと思っているようです。(彼についての意見もありますが、それは置いておいて)

 

「ユーレカの旗は抗議のシンボルとしてよく使用されるが、過剰な圧力や不当な法律に屈せず平和的な抗議活動において使われるべきものだ。けれど、ここ数日の抗議活動は非常に激しく、間違った使い方をされている。旗は民主主義を象徴していて、その歴史的背景やオーストラリア人である意味などを理解する必要がある。」

 

歴史的背景を知ってもらおうと長い間努力して来た人たちの思いが歪められてしまうのだとしたら、悲しいものはありますね。

 

私が初めてユーレカ砦の話を聞いた時、結末を聞いてスカッとしましたし、この出来事に好感を持ちました。

だからこそ一度はユーレカセンターに行ってみたいと思い3年ほど前に実際に訪れたわけですが、お土産屋さんで売られるたくさんのユーレカの旗グッズを見て心が躍ったものの、「日の丸と同様、持っていると変な誤解をされる可能性もありそう…」と買うのを躊躇してしまったのを思い出します。

こういう旗は、扱い方がちょっと難しいような気がしますね。

Eureka Centre

おわりに

もうすぐユーレカ砦の戦いから167年目です。

オーストラリアにもこういった歴史があり、それを知るのは大切ですし、そういうゆかりの地を訪ねながら知る事は楽しい作業でもあると思います。

とは言え3年先さえ予測が付かないような現在、ユーレカの反乱で戦った人たちがもしこの状況を見たら、どんな風に思うんでしょうね。