映画 The Tracker (トラッカー) のあらすじ・感想

2002年公開の『トラッカー (The Tracker) 』という映画は、1992年を舞台に3人の白人警官が原住民アボリジニの案内を頼りに白人女性を殺したと思われる原住民を追って、アウトバックの奥地に出向くという物語です。

“トラッカー” というのは日本語に直訳すると “追跡者”。当時は警官が犯人を追って僻地のアウトバックを捜査する際、自然を熟知して追跡能力に長けている原住民がよく駆り出され、その追跡する原住民はトラッカーと呼ばれていたのです。

(出典: https://en.m.wikipedia)

この映画は、南オーストラリア州のフリンダース山脈 (Flinders Ranges) で撮影されたそうですが、作中では “オーストラリアのどこか (Somewhere in Australia)” という事になっていて、残虐なシーンはピーター・コード (Peter Coad) の絵に置き換えられています。

原住民の役にはデビッド・ガルピリル (David Gulpilil) が出演。彼は『Rabbit Proof Fence (裸足の1500マイル) 』『Australia (オーストラリア)』などにも出演しているので、観た事がある人もいるのではないでしょうか。

映画で使われたアボリジナルアーティスト Archie Roach のサウンドトラックアルバムは、2002年のオーストラリア映画評論家サークル (Film Critics Circle of Australia) でベストサウンドトラックに選ばれています。

 

ちなみに、この映画に関する日本語情報はネット検索しても見つける事が出来なかったので、おそらく日本語には訳されてないと思います。(多分、表現が直接的すぎるのと歴史的背景を知らないと理解しにくいので、一般的な日本人視聴者向きではないからではないかと。) 私はオーストラリアの iTunes で観たのですが、英語字幕もなかったです。

 

タイトル The Tracker
監督 Rolf de Heer 🇳🇱🇦🇺
脚本 Rolf de Heer
製作 Rolf de Heer
Julie Ryan
公開 2002年
上映時間 98分

 

出演:
The Tracker役:
デビッド・ガルピリル (David Gulpilil) 🇦🇺
The Fanatic (狂信者) 役:
ギャリー・スウィート (Gary Sweet) 🇦🇺
The Follower (フォロワー) 役:
デイモン・ガモー (Damon Gameau)) 🇦🇺
The Veteran (ベテラン) 役:
グラント・ページ (Grant Page) 🇦🇺
The Fugitive (逃亡者) 役:
ノエル・ウィルトン (Noel Wilton) 🇦🇺

 

 

私の総合的感想:

うーん、これは何とも言えない内容です。
淡々と進んでいく物語の中で、命がけの生々しい人間同士の駆け引きが地味に怖く、残酷さと人間味の狭間で考えさせられる映画でした。

 

 

⚠️ ここから先はネタバレあります。

 

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あらすじ

1922年、オーストラリアのアウトバックの中に馬に乗った3人の警官と、先住民の男性の姿がありました。

警官たちは、土地に詳しい先住民の案内を頼りに白人女性を殺害した先住民を探していたのです。

中心となって指揮を取る警官は、横暴で非人道的な差別主義。その言動は彼に従う青年やベテランの警官も悩まされ、奥地へ進んで行くにつれて増えていく数々のトラブル、そして裏切りや駆け引き。

物語は二転三転しながら、次第におとなしく警察に従っていた先住民男性の本性も現れて来ます。

感想

この映画、舞台は最初から最後まで木と草と土しかないアウトバックの山の中で、ほとんどのシーンの主な登場人物は4人だけという、一見地味で単調に感じる映画です。

でも後半に近づくにつれて、人と人との駆け引きや騙し合いの世界にはらはらさせられました。

背後には常に何とも言えない不安感があり、それは「キャー」っと叫びたくなるような恐怖ではなく、じわじわと発狂したくなるような静かな恐怖…。

果てしない大自然の中に入ってしまえば、どんなに権力があって偉ぶっていてもただのちっぽけな人間であり、頼れるのはお互いの存在のみという心細さ。けれど、それすら信用出来るのか?

そんなアウトバックで繰り広げられる人間の生々しい生き様は、色んな意味で考えさせられます。

 

気味の悪いほど白人にへりくだる原住民トラッカーの心の内は、時々垣間見える顔の表情で何となく察する事が出来るものの、彼がどんな意図を持っていて、これからどんなふうに行動を起こして行くのか全く想像出来ませんでした。

おそらくこの映画を観る多くの人は、純粋そうな青年に感情移入していくと思います。

初めこそウクレレを弾いたり歌ったりしていた彼ですが、あまりにも残酷な行為を目の当たりにした後からは一変。

ウクレレを焚火の中に投げ入れたのは、弾く気にはとてもなれなかったからなのか、もっと気持ちを引き締めないとと悟ったのか…。

 

半ば呆れ顔で様子を見守るベテラン警官はどこでもいそうなおじちゃんで、3人の中ではいちばん気の毒な人でした。

威張り散らす男性は正義という名のもと、人の命よりも任務を遂行する事を選ぶ冷酷さ。これは1922年という時代ではわりと普通だったのでしょうか?近年日本社会で叩かれているブラック企業の比ではありません。

けれど武器や権力で周りを服従させていた人間も、大自然の中では無力。そこにいるのは4人の人間のみで、何が起きても目撃者もいない状況です。そう、反撃だって可能なのです。

ついに青年が上司の暴君ぶりに我慢出来なくなって立場が逆転した時はスカッとしましたが、同時に私は老婆心ながら心配にもなりました。

彼がこの冷酷な人間を犯罪者として警察に突き出すと決めたのは人として正しい選択だとは思いますが、このまま馬鹿正直に元の世界へ戻ってしまって大丈夫なのでしょうか?町に帰ったら逆に青年が罰せられる事にならないと良いけど…なんて。

まあ、結局その心配はなくなるんですけどね。

人間が人間を裁く事は傲慢と言えど、この後の展開には考えさせられるものがあります。

一連の出来事をめぐり、青年とトラッカーの間にはある種の信頼関係が生まれたように見えましたが、捕らえられた冷酷男性が「この食事に毒でも入ってるんだろう?」と悪態をついた時、青年もトラッカーのくれた夕食を吐き出してしまった行為に、私は少しガッカリしました。

「やっぱりね」と言わんばかりに青年を指をさして大笑いするトラッカーの姿も不気味でしたが、まあ、よくよく考えてみれば、命がかかっているのだから完全に信用出来ないのも無理はないでしょうね。こういう時に本音が出ますね。

それでも最終的にひとりになってしまった青年は、このトラッカーを頼るほかに命の保証はありません。

ここは原住民のテリトリーであるアウトバックのど真ん中。集落で原住民たちに囲まれ武器を渡せと言われたら、従うしかないのです。

結局、探していた殺人犯は無実で、白人たちにぬれぎぬをきせられていた事が分かります。

原住民たちにとって、白人の決めた法律なんて知った事ではありません。

でも…。

彼らには彼らの掟があり、それを犯した者は制裁が下るのです。

とりあえず青年は「してやられたな」という表情で馬に乗って走り去るトラッカーを見送り、私も青年が無事に家に帰れそうなので胸をなでおろしたのですが、でも、これは果たしてハッピーエンドと言えるのか?

何とも言えない微妙な後味が残りました。

おわりに

派手さはないですし、絵でごまかされているとはいえ目を背けたくなるシーンがないとは言えない映画です。

それでも興味がある人はぜひ、観てみてくださいね。

 

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