オーストラリア領トレス海峡諸島と木曜島について

オーストラリア先住民 (Indigenous Australians)というと、アボリジナルの人々がよく知られていますが、その中にはトレス海峡諸島 (Torres Strait Islands) の人々も含まれます。

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トレス海峡諸島?

トレス海峡諸島はオーストラリア本土とは違う独自の文化が根付いていて、独自の統治が行われいる地域です。

ちなみに、司馬遼太郎の『木曜島の夜会』という有名な小説の舞台になった木曜島もこの諸島のひとつなんですよ。

この記事では、そんなトレス海峡諸島について紹介します。

トレス海峡諸島について

Torres Strait Islands

上がトレス海峡諸島の旗です。近年ではオーストラリア連邦の国旗とアボリジナルの旗に並んでこの旗が掲げられていることも多いので、見たことがある人も多いのではないでしょうか。

緑は土地、黒が人々、そして青は海を意味し、中央の白い五芒星は5つの島のグループを、周りの白は ダリ (Dhari) という伝統的なダンスで使われる頭飾りを表し、トレス海峡独特の文化を象徴しています。

この旗は木曜島出身の Bernard Namok によってデザインされ、1995年7月14日に正式にオーストラリア政府に認められました。

ではそんなトレス海峡諸島、どこにあるのでしょうか?

トレス海峡諸島の位置

トレス海峡諸島はクイーンズランド州に属するオーストラリア領の島々で、オーストラリア大陸の最北端であるケープヨークとパプアニューギニアの間にあります。

最北端の島はパプアニューギニアからわずか4km、北西の島はインドネシアから73.5km しか離れていないんです。

グレートバリアリーフも近く、手付かずの自然が多く残るトレス海峡諸島には珍しいサンゴ礁やジュゴン、ウミガメなどが生息しているのだとか。(クロコダイルも…)

ただ、諸島には274もの島が存在しますが、実際に人が住んでいる島はそのうちわずか12〜17島ほど。総人口は約4500人です。

トレス海峡諸島の人々

https://commons.m.wikimedia.org

トレス海峡諸島の人々は、パプアニューギニアの沿岸に住む人たちの文化と似ているので、オーストラリア本土に住むアボリジナルの人々とは区別されて考えられています。

言語は主に2種類の固有言語が話されていて、紀元前約6千年前にパプアニューギニアの方から渡って来たと言われているメラネシア (オーストラリアの北東方にある島々) 系の人々です。

トレス海峡諸島の政治

トレス海峡諸島はオーストラリアで初めて先住民権に基づいて先住民による統治が認められた地域としても知られています。

この諸島出身のエディ・コイキ・マボ (Eddie Koiki Mabo) という人物が先住民の土地所有権利を主張し、1922年に独自の統治を認められるようになりました。

(出典: https://www.ramint.gov.auより)

2017年には彼の没後25年と、本土のアボリジニを含む先住民の人たちに選挙権が与えられてから50周年を記念して50セント記念コインが発行されています。

トレス海峡諸島の歴史

オーストラリア大陸を発見した西洋人としてキャプテン・クック の名前を挙げる人もいますが、実はそれよりも160年以上前にトレス海峡諸島は発見されていました。

この諸島を最初に見付けた人物と言われているのは、トレス海峡の名前の由来にもなったスペインの探検家ルイス・バーエス・デ・トレース (Luís Vaz de Torres) です。

ただ、1606年に彼がこの地域を通過した時、興味を惹かれなかったようで素通りしています。それは、その後この地域を通ったオランダの貿易船も同じでした。

19世紀初頭にはインドやアジアに向かう貿易船がオーストラリア東海岸からトレス海峡を通って出ていましたが、島に停泊する船はほとんどなかったようです。

そんな諸島が注目を浴び始めたのは1850年代になってからのこと。

豊富な資源の発見

ヨーロッパの貿易船がトレス海峡やグレートバリアリーフの海にナマコや貝などの豊富な資源がある事を発見し、1870年代には島周辺の海域で真珠や貝の採取が盛んになって行きました。

明治時代から昭和初期にかけて多くの日本人もこの地に出稼ぎに来ていましたが、第二次世界大戦勃発によって下火になりました。

1879年にはイギリス政府によって、トレス海峡諸島もクイーンズランド植民地の一部とされています。

 

さて、次にトレス海峡諸島の中でも政治や経済の中心になって来たという木曜島 (Thursday Island) について、少し注目してみたいと思います。

 

木曜島について

トレス海峡諸島は5つのグループに分けられていて、木曜島はケープヨークに近いグループの島に所属します。

別名ワイベン島 (Waiben) とも呼ばれ、木曜島という名前は1789年にバウンティ号の反乱 (Mutiny on the Bounty) でこの地に来たウィリアム・ブライ (William Bligh) が命名しました。

島の人口は約2500人〜3000人で、面積は3.5 km² ほどの小さな島なので、車なら1時間もかからずに一周してしまえるほどの広さです。

歴史と観光

木曜島には1878年から1941年まで多くの日本人がこの地で真珠や貝の採取漁業に携わり、この地で亡くなった7000人余りの人々のお墓や慰霊塔が建っています。

また、第二次世界大戦中に作られたオーストラリア最古の軍事施設の要塞跡 (Green Fort Hill) なども。

 

木曜島については、かなり前に宿泊代を多く見積もられたというエピソードを読んだので、個人旅行するにはちょっと怖い所なのかな?という印象を持っていましたが、今回やはり興味深い地域だと思いました。

こちらがその記事↓です。参考になりますよ。

木曜島の行き方

トレス海峡諸島に行くには、ケアンズから船や飛行機、またはツアーを利用。飛行機はホーン島に止まるので、フェリーで木曜島まで行きます。

※ 行き方については、以前ワーホリ時代にこの地域に住んでいたという人の詳しい記事がありましたので、そちらを参考にしてみてください。写真もたくさん掲載されているので、これから行きたいと思っている人にはとても参考になると思います。

このブログの写真を見る限りコバルトブルーの海がきれいですが、司馬遼太郎の小説を読むと “あれだけの体力と時間をつかってやってきた代償としては、美しさに欠けていた。” と書かれているのが面白いです。

おわりに

オーストラリア本土から離れているトレス海峡諸島、オーストラリアに住んでいてもちょっと馴染みがない地域ですが、これもオーストラリアの一部です。

個人的にはいつか訪れてみたいなと思っています。