クック船長が夢見た世界の果て

クック船長が夢見た世界の果て

“1770年、イギリスの探検家ジェームズ・クックがエンデバー号で現在のシドニー郊外のボタニー湾に上陸。オーストラリア東海岸一帯をニューサウスウェルズと名付け、イギリスの領地とする事を宣言した。”

これはオーストラリアの歴史を読むと必ず始めに出てくる最初のくだりで、ここから白人によるオーストラリアの歴史が始まったと言われています。

オーストラリア大陸はジェームズ・クックが発見したと言われる事が多いですが、正確に言うと実はそれよりも150年以上前にオランダ人によって発見されていました。
伝説の大陸テラ・オーストラリス発見物語

しかし、はっきりと新大陸と認識して植民地宣言をしたのはこの時が初めて、この時からオーストラリアとイギリスの深い関係が始まります。

ジェームズ・クックの銅像やゆかりの地はオーストラリア各地にたくさん存在するので、オーストラリアを訪れた事のある人なら名前だけは知っているという人も多いのではないでしょうか。

クックコテージ (Fitzroy Gardens メルボルン VIC)

キャプテンクック上陸200年記念 Water Memorial Jet (キャンベラ ACT)

キャプテンクック像 (Hyde Park シドニー NSW)

ビッグ キャプテンクック (ケアンズ QLD)

キャプテンクック像 (クックタウン QLD)

ジェームズ・クック ミュージアム (クックタウン QLD)

世界3大美港と言われるシドニー湾で様々なクルーズを運行しているシドニー最大手のクルーズ会社は、“キャプテンクッククルーズ” という名前です。

NASAのアポロ15号や日本人宇宙飛行士毛利 衛さんの搭乗したスペースシャトルの名前は、ジェームズ・クックがオーストラリア大陸を発見していた時に乗っていた船 “エンデバー” と同じ名前が付けられました。

そんな後世に数多く名前を残すジェームズ・クックですが、一体どんな人物でどんな事をした人だったのでしょう?今回は彼にについて詳しく見ていきます。

 

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見習いから航海士へ

ジェームズ・クック (James Cook 1728 – 1779)
通称キャプテン クックはオーストラリア大陸を発見した海洋探検家であり、ハワイやニュージーランドを含むヨーロッパ人にとっての未開の土地を次々と発見した人物でもあります。

彼の優れた航海技術と海図作成の正確さは当時の世界地図の常識を塗り替え、航海後はヨーロッパ中にその名が知れ渡りました。

Captain James Cook  Nathaniel Dance. BHC2628

そんな彼の生い立ちは決して裕福だった訳ではありません。

1728年11月7日にイングランドのノースヨークシャー州マートン (Marton) でスコットランドから移住してきた父親とイングランド人の母親から生まれた彼は、小さい頃から兄たちと父が働く農場仕事を手伝いながら育ちました。

産業革命以前のイギリスでは労働者階級の子供が長時間働くのは当たり前だったとは言え、父親の雇い主は勤勉で利発なクックの姿を見て感心して学校へ行く援助をしてくれました。

17歳になると商売を学ぶ為に漁村の雑貨屋に奉公に出ましたが、船を眺めているうちに雑貨屋の仕事よりも海への憧れを募らせていきます。

雑貨屋を1年半務めた後、雑貨屋店主が近隣の港町ウィトビー (Whitby) にある地元の有力な商家ウォーカー (Walker) を紹介してくれ、そこで石炭運搬船の見習い船員として船乗りになる最初のスタートを切りました。
この時に航海に必要な航海術、測量法や数学、天文学などの勉強にも励んでいます。

Whitby

3年間の見習い期間を終了した彼は一人前の水兵として認められ、バルト海貿易船フレンドシップ号で働きながら航海士試験に合格。航海士として更に3年間働きました。

1755年クック27歳の時、彼の仕事ぶりに信頼を寄せていたウォーカーはクックにフレンドシップ号を与えようと申し出ましたが、どうしても遠い海の果てへの憧れを捨てきれない彼は、その幸運な申し出を断ってイギリス海軍に入隊します。

その頃ヨーロッパではオーストリアの継承権をめぐる問題で揉めており、ヨーロッパ全体を巻き込んだ7年戦争 (1756年 − 1763年) が起こる直前で、イギリスも軍備強化の為に志願兵を募集していたのです。

一介の水平として海軍に入隊した彼ですが、みるみる頭角を現してすぐに一等航海士に昇格します。

腕前を評価される海軍時代

海軍に入ったクックは幾度かのフランス戦を経験しながら、1759年には念願の大型船の航海長という重要任務を任され、フランス軍と戦うべくカナダへ向けて出航。クックにとって人生初の大西洋を横断を果たします。

カナダのケベックに着いた彼は命がけで敵地のセントローレンス川の測量とガスペ湾の綿密な海図作成をし、後にこれがケベックの戦いの奇襲上陸作戦を成功に導き、イギリスが勝利しました。

この一件でクックは、イギリス海軍本部とイギリス王立協会から注目を浴びる存在となります。

その後、北米での任務を終え1762年に帰国したクックは、ロンドンで13歳年下のエリザベスという女性と出会い結婚しました。

しかし、それから数カ月しないうちにまたカナダ東部の島、ニューファンドランド海域の海図作成の命令が下ります。
この島の海域は極めて測量が難しく危険と言われていましたが、彼は当時の最新科学を使った測量方法で5年かけて海図を作成し、高い評価を受けました。

この頃の彼の日記にはこう記されています。
「誰よりももっと遠くへ、人間が行ける世界の果てまで私は行きたい。」

クックの妻であるエリザベスは、夫と過ごす時間よりも留守を預かる時間の方がはるかに長かったと言われます。
美男子で才能が豊かな上に人に好かれるクックですが、妻になる人は大変だったのではないでしょうか。

ともかく、いつも遠く海の果てに憧れを持ち続けていたクックの元に、ついに夢を叶える機会が巡って来ます。

イギリス王立協会が、1769年6月3日にタヒチで金星の太陽面通過を観測する学術調査団にクックを抜擢したのです。これがクックの名を後世まで伝える歴史的航海 (1768年 – 1771年) となります。

学術調査団としての任務

イギリス王立協会から任命された金星の太陽面通過観測というのは、金星が地球と太陽の間に入る通過開始時間と終了時間を測るもので、18世紀は1761年の後は1769年にその現象が起こる事が分かっていました。

これは、世界中の地域から観測データを取って太陽系の大きさを算出しようというもので、ハレー彗星で有名なエドモンド・ハレー (Edmond Halley 1656 – 1742) が生前に呼びかけいた世界初の国際的科学プロジェクトでした。

2004年6月8日 ドイツで観測された金星の太陽面通過 by Jan Herold

当時タヒチ島は1767年イギリスによって発見され、イギリス国王の名である “ジョージ3世島” と名付けられていた占領地でした。(現在はフランス領ポリネシアとなっており、公用語もフランス語ですが。)

1768年8月、“努力” を意味するエンデバー号 (HMS Endeavour) と名付けられた船の指揮官として任命されたクックは、乗員94人を乗せイギリスのプリマス港から南太平洋に出航しました。(HMSというのは “His/Her Majesty’s Ship” の略で、イギリス海軍の船という意味です。)

このエンデバー号は、実はもとはウィトビーで建造された商業用の石炭運搬船だったのですが、海軍によって購入され大規模な改造を施された船でした。
運搬用の船は速度は遅いものの、頑丈な造りで積載量が大きいのと、積み下ろしの為に接岸しやすい構造が今回のような長期の航海には最適だったからです。

1923年にFrancis Joseph Bayldon によって描かれたエンデバー号

船に乗り込んだのは71人の乗組員と12人の兵士、そして11人の科学者。その中には、イギリス植物学者のジョセフ・バンクス (Joseph Banks)、バンクスのアシスタントとしてスウェーデン人のダニエル・ソランダー (Daniel Solander)、フィンランド人ヘルマン・スペーリング (Herman Sporing)、イギリス天文学者のチャールズ・グリーン (Charles Green)、植物画家のシドニー・パーキンソン (Sydney Parkinson)、画家のアレクサンダー・ブッチャン(Alexander Buchan) などの人たちがいました。

植物学者ジョセフ・バンクスは、後に王立協会の会長を42年間にわたって務め、自然科学会の発展に大きく貢献した「自然史の父」とも呼ばれた人物です。
彼はこの航海で採集された数多くの植物の名前を命名し、バンクシアも彼の名前から来ています。

ひとことにバンクシアと言っても、173種類も存在するそうです!

また彼は、後にオーストラリアを植民地化する事を強く押した人物でもあり「オーストラリアの父」とも呼ばれています。
1967年発行のオーストラリア$5紙幣にも彼の肖像が描かれていました。

画像: http://australianbanknotes.net

大西洋からマゼラン海峡を経て大西洋に入り、数カ月に及ぶ命がけの航海の末、タヒチに到着したのは1769年4月13日でした。

船員たちに、タヒチの住民を尊重して決して危害を加えない事を厳しく言い渡していたクックの甲斐があり、一行は言葉は通じないながらも身振り手振りで現地の人たちと交流し、何とか無事に金星を観測する事が出来ました。

この時クックが金星 (Venus) を観測した岬は後にビーナス岬と呼ばれ、現在もタヒチ観光地として当時の観測地点にモニュメントが建てられています。

タヒチ ビーナス岬
クックの観察した地点

オーストラリア大陸発見の軌跡

これで金星観測の任務が終了しましたが、実はもうひとつの隠されたミッションがありました。

それは、古代ギリシア時代からささやかれる伝説の南方大陸 “テラ・オーストラリス (Terra Australis)” を探し出す事。

イギリス王立協会は金星観測調査団を表向きの口実にして、こっそりと伝説の南方大陸を探せばライバルの欧州諸国を出し抜いて富を手に入れる事ができるかもしれないと考えていたのです。

南太平洋の地理に詳しいタヒチの青年の協力をえて、船は1769年10月6日に現在のニュージーランドに到達。ニュージーランドに白人が来たのは、100年以上前のアベル・タスマン以来で、クックが2人目でした。

早速クックはニュージーランドの周りを回遊しながら地図作成に取り掛かり、かつてアベル・タスマンが湾と勘違いしていた北島と南島を分ける海峡も、今回はしっかりと確認されクック海峡 (Cook Strait) と命名されています。

かつてアベル・タスマンもそうだったように、途中で何度か原住民であるマオリの攻撃に遭いましたが、クックはなるべく相手を傷つけないように心を砕いたと言います。

そして一行はニューオランダ (New Holland) と呼ばれていたヴァン・ディーメンズ・ランド (現在のタスマニア) を目指して北西に向かいますが暴風で北に流され、1770年4月19日午後6時にヒックス中尉が南東の方角に陸地を発見。
その場所は彼にちなんでヒックス岬 (Point Hicks) と名付けられました。

現在この場所はポイントヒックス海洋国立公園 (Point Hicks Marine National Park) となっていて、メルボルンを州都とするビクトリア州の東海岸に位置します。

クックは計算上、ヴァン・ディーメンズ・ランドはヒックス岬よりも南に位置するはずなので、この岬ヒックスのある土地とそこは陸続きで繋がっているのではないかと考えていました。タスマニアが島であると言う事実を知るのは、かなり後になってからです。

4月29日、船はある湾に1週間ほど停泊します。
ここが、記念すべき白人が初めてオーストラリアに上陸したと後に語られるボタニー湾でした。

最初この湾は、クックによってエイ (Stingray) がたくさんいたのでスティングレイ湾と名付けられましたが、後に珍しい植物が採取された事から植物学 (Botany) を意味するボタニー湾に変更されました。

現在この場所はボタニーベイ国立公園 (Botany Bay National Park) となっていて、ボタニー湾に面したカーネル (Kurnell) にクックたちが上陸した場所として記念碑が建っています。

ここまではシドニー市内からバスで約40分ほどです。
国立公園内では内ではアボリジニの生活に跡なども見る事が出来ますし、2020年の250周年記念を迎えるにあたり、これからキャプテンクックの記念館や銅像を作るという話も出ています。

クックはここから更に北上しながら測量を行い、それぞれ陸地に名前を付けて行きました。
この時に彼が付けた地名は現在も各地に残っていて、クイーンズランド州には1770というおもしろい地名まであります。(1770年だったので。)

2度目の上陸はその1770にあるBustard Bay、次が Cape Townshend でした。(どちらもブリスベンよりも北、ケアンズより南です。)

北上するにつれて、船は珊瑚礁が密集するグレートバリアリーフ地帯に入り込み、6月11日午後10時、満潮時の嵐の中でエンデバー号が珊瑚礁に衝突し船が破損する事故が起こり、大量の水が船に流れ込む事態となりました。

水色の部分がグレートバリアリーフが生息している場所です。

船を軽くする為に船員みんなで積荷を捨て、何とか船底の応急処置を施して岸へ着き、修理の為に航海は7週間ほど遅れをとりましたが一命を取りとめました。

その修理した場所が現在のクックタウンにあるエンデバー川の河口です。(クックタウンはケアンズから更に車で6時間ほど北上した小さな町です。)

Grassy Hill から臨むクックタウン。

この町は今でも原住民アボリジニの民族がたくさん住んでいますが、当時の彼らも出会っていたようです。
“カンガルー” という言葉もこの時に記録に記されました。

カンガルーという言葉はグーグ・イミディル語 (Guugu Yimithirr) でクロカンガルーを指す “Gangurru” が変化したもので、跳ぶという意味もあるそうです。

有名な「あの動物は何?」と聞いたら原住民が「カンガルー(分からない)」と答えて、それがそのまま動物の名前となった、という話は残念ながらただの作り話のようです。

エンデバー号はケープヨークを通過し、ケープヨークとニューギニア間にあるトレス海峡も抜けてニューオランダ (オーストラリア) 大陸は、かつて考えられていたようなニューギニアの一部ではなく、孤立した大陸である事を確認。

8月22日、トレス海峡に近いケープヨーク上にある小さな島ポゼッション島 (Possession Island) に上陸すると、イギリスの旗を立てて東海岸一帯をニューサウスウェールズと命名。この土地をイギリスの領地とする事を宣言しました。

徹底した食事管理

新大陸発見の他にもうひとつ、クックが成し遂げた事があります。
それが徹底した食事管理です。

この時代、長期にわたる船旅では壊血病という病気がつきもので、この病気はビタミンCが不足して皮膚や歯から出血して骨がもろくなり最終的には高熱を伴い死に至るという病気で、当時は原因が分からず恐れられていました。

そんな中、海軍の研究で新鮮な野菜や果物を食べる事で壊血病が防げるところまでは突き止められており、クックは船員の食事には十分に気を付けるよう上からの命令を受けていました。
彼は、最初は食べようとしなかった船員たちに柑橘類やザワークラウトを食べるように促し、厳しい食事管理を徹底させたのです。

ザワークラウト (Sauerkraut) というのはよくドイツ料理などの付け合わせで付いてくる酢漬けのキャベツです。

イギリスへ帰国途中、船の修理で寄ったオランダ東インド会社の本拠地のあるバタビアで、多くに船員がマラリアや赤痢にやられてしまい、最終的にこの約3年間の航海で38人もの人が命を落としてしまいましたが、壊血病が原因で命を落とした人は1人もいませんでした。これは当時、奇跡のような話でした。

1771年6月12日、エンデバー号はイングランドに到着。
クックが帰国してすぐ航海日誌が出版されて、彼はあっという間に有名人となりました。

彼の発見により伝説の南方大陸テラ・オーストラリスの存在は、結局ただの伝説だったという考えが人々の間に広がりましたが、ニューオランダの事をテラ・オーストラリスと呼ぶ人もいて、それが変化して今のオーストラリアの名前になったと言われています。

ついにオーストラリア大陸が白人に発見され、ここからイギリスの植民地支配、アボリジニの悲しい歴史などを経て、独自の文化を形成していきます。
まだオーストラリアの新しい歴史は始まったばかりです。

おわりに

才能豊かで順風満帆に見えるクック船長の人生ですが、この頃の彼が一番輝いていた最盛期だったかもしれません。
この後も、2度目3度目と地の果てを求めて航海に出ますが、最後はハワイの民に殺されてしまうという運命を辿ります。

クック船長のことを調べていると、自分の旅した地名がたくさん出て来て楽しくなりました。
おそらく本当に旅行が好きな人は、自然と歴史も好きになるのではないでしょうか。

クックタウンは私がバナナファームでセカンドビザを取った場所で、東海岸を長距離バスでエンデバー号とは逆方向に旅行して回って、今はボタニー湾やオーストラリアで一番古い町があるシドニーに住んでいます。たまたま2年前にタヒチに行って、ビーナス岬にも行ってるんです。

ついつい色んな事が書きたくて長くなったので一旦これで終わりますが、オーストラリアの歴史はまだまだ続いて行くわけで、また続編を書きます。
よかったらまたお付き合いください!

この記事で参考にした資料の一部: 物語 オーストラリアの歴史 竹田いさみ著 (中央公論新社) / 海からの世界史 宮崎正勝著 (角川学芸出版) / 地球の歩き方 タヒチ イースター島 クック諸島 (ダイヤモンド社) / http://adb.anu.edu.au / https://en.m.wikipedia.org/wiki/James_Cook / http://www.stampmates.sakura.ne.jp / https://www.japanjournals.com / http://www.pacificresorts.com / https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジョゼフ・バンクス / https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダニエル・ソランダー / http://www.phantaporta.com / https://ameblo.jp/chikyugi-pro / http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/dict-html/00286_CookJames.html / https://tahititourisme.jp