19世紀幽霊フレッド・フィッシャーの伝説

19世紀幽霊フレッド・フィッシャーの伝説

11月というと日本は冬に入りますが、オーストラリアでは夏に突入です!

夏と言えばやっぱり幽霊の話がつきものですが、オーストラリアの怪談はいかがでしょう?この国は心霊スポットの多いイギリスのような古い歴史はありませんが、それなりに怖い話はあるんですよ。

国内には心霊スポットを回るゴーストツアーを開催している地域が何カ所かあるのですが、ある関係者によるとニューサウスウェールズ州のキャンベルタウン (Campbelltown) という町は、特に幽霊の目撃が多い地域なのだそうです。

その中でも19世紀に実在した人物フレッド・フィッシャー (Fred Fisher) の幽霊は最も有名で、この地域では毎年彼の幽霊に由来したフィッシャーズゴーストフェスティバル (Fisher’s Ghost Festival) が開催されます。

 

 

幽霊がお祭りまで発展するなんて不思議ですね。

では、このフレッド・フィッシャーの幽霊の言い伝えとは一体どんな話なのか、時代を遡って見ていくことにしましょう。

 

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フィッシャーの半生

幽霊話なのであまり愉快な話とはいきません。

人を脅かせる幽霊というのは、この世に未練を残した魂が多いそうですが、フレッド・フィッシャーの幽霊も訴えたかったことがあったようです。

フレッド・フィッシャー (本名 Frederick George James Fisher) は1792年8月28日にイギリスのロンドンで生まれ、1815年に有罪判決を受けるまでは小売店で商売をしていました。

詳しい内容は残っていませんが、有罪判決は偽札に関わってしまったことが原因だったようで、14年間のオーストラリア行きを言い渡されています。当時イギリスは、流刑地として植民地だったオーストラリアに大量の囚人を送っていたのです。

1818年、オーストラリアに囚人として送られたフィッシャーは収容所で事務員として働き、その立場を利用し社会的コネを作りながら、4年後の1822年には晴れて仮釈放の身となります。

そこで彼はシドニーから南西におよそ約53kmほど離れたキャンベルタウンという場所に広い土地を得て、農場を経営し始めました。

現在のキャンベルタウン中心部

現在キャンベルタウンはそれなりに栄えた町になっていますが、入植したばかりだった当時はまだ開拓され始めたばかりの何もない田舎の農村地。

そんな地で始めた彼のビジネスは順調に運び、まさかこの後、彼の身に不幸な事件が起こるとは誰にも想像出来ませんでした。

謎の失踪事件

1825年、フィッシャーは農場の設備について大工と口論になり、ナイフまで持ち出す騒ぎを起こしてしまい、再び有罪の判決を受けます。

軽い罪だったので数カ月ほどの刑期で釈放される予定だったとはいえ、長期で農場を不在にしなければいけません。

そこでフィッシャーは、隣人の同じく元囚人で農場を経営するジョージ・ウォラル (George Worrall) という男性に自分の不在中、農場を管理をしてもらうよう依頼しました。

(ちなみに、その時のウォラルの家はタウンホールシアターに形を変えて現在でも残っています。)

Queen St にあるタウンホールシアター

1826年、刑期を終えてキャンベルタウンに戻ってきたフィッシャーは、しばらくウォラルの家に滞在していましたが、6月17日を境にこつぜんと姿を消し、この日以来誰もフィッシャーを見る人はいませんでした。

ウォラルは

 

フィッシャーはイギリスに里帰り中で、もしかしたら彼は農場を手放すかもしれないと言っていたよ。

と周りに話していましたが、フィッシャーはまだ囚人という立場で完全に自由市民になったわけではありません。そんな彼が逮捕のリスクまでおかして帰国するというのは不自然で説得力がなく、人々は不信に思いました。

しかも、その3週間後に彼はフィッシャーの馬や財産を売却するという怪しい行動を取った為、警察は9月にウォラルを殺人容疑で逮捕。

しかし、フィッシャーの遺体は依然として発見されず、ウォラルが犯人だという証拠が不十分のまま時が過ぎていくばかりでした。

橋の上の幽霊

フィッシャーの謎の失踪から4カ月後のある夜、奇妙な出来事が起こりました。

地元のホテル Patrick’s Inn に、農夫のジョン・ファーリー (John Farley) が血相を変えて入って来て、橋の上でフィッシャーの幽霊を見たと言うのです。

 

今、頭から血を流したフィッシャーが小川にかかる橋の柵に座っていたのを見たんだ!
びっくりして悲鳴をあげたけど、何とか「お前、イギリスに戻ったんじゃなかったのか?」と聞いたら、フィッシャーは何も答えずただ黙って橋のたもとの牧草地を指差した後、スッと消えちまったんだよ!

ファーリーは町でも信用のある裕福な農夫で、とても嘘を言っているようには思えません。

10月末には2人の男の子がフィッシャーの農場の柵に血痕を見たという報告もあり、警察はその場所を中心に調査したところ、人間の歯と髪の毛が発見さたので、更に追跡能力に優れたギルバート (Gilbert) というアボリジニ男性も呼ばれました。

そして、ついに埋められていたフィッシャーの遺体を発見される日が来たのですが、無残に埋められたフィッシャーが発見されたのは、まさにフィッシャーの幽霊が指差した場所だったのです。

最終的に、ウォラルは自分の農場経営が上手くいってなかったので、フィッシャーに嫉妬し農場を自分のものにしようと企て犯行に及んだ事を認めました。

幽霊が自分の埋められた場所を指差したという話は、警察の調書にはもちろん記されてはいませんが、19世紀に実際に起こった不思議な出来事として、長い間人々の間で語り継がれていくことになります。

現在にも残るフィッシャーズゴーストの名前

後世まで伝えられた話

フィッシャーは不幸にも命を奪われた当時の一般的な囚人のひとりであり、幽霊の話がなかったら彼の名は後世に残る事なく忘れられていったでしょう。

その後、このキャンベルタウンのフィッシャーの話は1924年に無声映画で公開されたり、1832年にアメリカ人の超常現象研究者ジョー・ニッケル (Joe Nickell) によって印刷物となったりし、次第に広く知れ渡るようになりました。

毎年11月に開催されるフィッシャーズゴーストフェスティバルは1956年から始まっています。

一連の事件が起こった地域の地形は時代と共に変化していき、現在は小川の流れもなくなっています。実際にフィッシャーの幽霊が出た正確な場所は、今となっては様々な諸説があり、はっきりとは確定されていません。

おわりに

この話はオーストラリアで最も有名な幽霊談だと言われていますが有名なのはローカルの中だけで、意外に知られていないようです。

舞台となったキャンベルタウンは1984年から埼玉県越谷市の姉妹都市として提携を結んでいて、それに由来した Koshigaya Park や日本庭園などもあるわりには、驚くほど日本語の情報が少ない地域でもあります。

という事で、次回は実際にこのキャンベルタウンやフィッシャーズゴーストフェスティバルについて、詳しい観光情報を紹介しようと思っています!