オーストラリアにいる人なら『ワルチングマチルダ (Waltzing Matilda)』という曲を一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。
この曲は1977年に国歌を決める国民投票で2位を獲得、もしかしたらオーストラリアの国家は『dvance Australia Fair』ではなくワルチングマチルダだったかもしれないと言うほど人気があります。
でもよくよく聴いてみると、軽快な曲調ですが内容はある男が警察に捕まる前に自らの命を断つという、そんなに明るい話ではありません。
では、なぜこの歌がオーストラリアで未だ非公式国歌と呼ばれるほど人気があるのか、詳しく見ていきましょう。
ワルチングマチルダという曲
ワルチングマチルダの歌の起源や意味は、今まで多くの人たちによって論議され複数の作曲者が存在しますが、最初に作詞したのはバンジョー・パターソン (Banjo Paterson) という詩人だったというのは間違いがないようです。
バンジョー・パターソンはオーストラリアの$10札にも載っています
この曲は形を変えながらも100年もの間、多くの映画や文学などの作品に登場したり口頭や書面や録音など様々なメディアで歌い継がれていて、今日でもオリンピックのセレモニーやスポーツのイベントなどで聴くことがあります。
そんなワルチングマチルダの曲は大きく分けると少なくとも3バージョンあり、特によく語られるのは次の2つです。
最初のバージョン
最初のバージョンはクイーンズランドバージョンと呼ばれ、スコットランド民謡を元にして作られた行進曲『The Craigielee March』が元になっていると言われています。
1895年、バンジョー・パターソンがクイーンズランド州 Winton 近くの農場 (Dagworth Station) に滞在していた時、その農場経営者の家族のひとりクリスティーナがハープのような楽器で弾いた曲を聴いて、パターソンが歌詞を付けたのが始まりです。
クリスティーナは以前にビクトリア州の競馬場でバンドが演奏していた曲を覚えていて、思い出しながら弾いていたようです。
一番有名なバージョン
こちらが現在も広く歌われている最も有名なバージョンで、1903年に紅茶会社のオーナーが曲の権利を買い、その会社のマネージャーの妻 Marie Cowan によって歌詞も曲もコマーシャルソング用に書き換えられました。
新しいバージョンの曲では、“He sang and he looked at the old billy boiling” から “He sang as he watched and waited till his Billy boiled” と変わり、ビリーティーがより強調された詩になっています。
(参考: National Library of Australia )
そして、以下が最も有名なバージョンの日本語訳です。(英語の歌詞はYouTube参照)
ワルチングマチルダ
ある日陽気なスワッグマンが
水のほとりのユーカリの木陰で野宿してた
彼はビリーのお湯が沸くまで見ながら歌った
さあ荷物を持って放浪しよう、オレと一緒に
羊が水を飲みにやって来て
スワッグマンは喜んで捕まえた
彼は羊の毛を剃って食料袋に詰め込みながら歌った
さあ荷物を持って放浪しよう、オレと一緒に
牧場主がサラブレッドに乗ってやって来た
警官も1、2、3人 “その袋の中の羊はどうしたんだ?”
さあ荷物を持って放浪しよう、オレと一緒に
スワッグマンは飛び起きて水の中に飛び込んだ
お前には生きたオレを捕まえられないよ、と彼は言った
そしてそこを通ると彼の亡霊の声が聴こえるかもしれないよ
さあ荷物を持って放浪しよう、オレと一緒に
この歌にはオーストラリアのスラングが多様に使われていて、時代背景も一緒に理解しないとよく分からないかもしれません。ワルツやマチルダは、ヨーロッパで呼ばれていた名前を語源に引き継がれた言葉だったようです。
- Waltzing = “Travelling on foot” = 歩いて旅する事。
- Matilda = 路上生活者などが荷物を包んで持ち歩く袋、又は毛布の事。Swagとも。
- Swagman = オーストラリア各地を放浪して農場などの季節労働を探して歩いていた人たちの事。1890年代と1930年代の不況期に広く見られた。
- Coolibah = ユーカリの木の種類のひとつ。
Billy = ワイヤーの取っ手がついた缶。これを火にくべ、沸騰させたお湯でお茶を作っていた。 - Jumbuck = 羊のこと。先住民族の言葉から来たのではないかと言う説がある。
- Billabong = 元々は先住民族の言葉で、流れのない水溜まりのこと。
- Tucker bag = Tuckerは食べ物の事。tuckと言う単語から来ている。
ワルチングマチルダの主人公であるスワッグマンは、19世紀後半から20世紀にかけてオーストラリア各地で見られた仕事を探して歩き回る人たちです。
この頃のオーストラリアでは白人同士でも差別があり、スクォター (Squatters) とセレクター (Selectors) と分けられていました。
スクォターは彼らの富や名声を使って警察や法律と繋がる事で、貧しいセレクターたちとの間に不平等が横行していたという時代背景があり、ワルチングマチルダの歌は権力に対しての反発心や平等精神などオーストラリア人の魂がこもっている歌とも言われ、ブッシュレンジャーのネッド ケリーと同様に、多くの民衆に広く受け入れられました。
バンジョー・パターソンについて
では、この歌の作詞者バンジョー・パターソン(Banjo Paterson 1864−1941)はどんな人物だったのでしょうか。
彼の名前は正式には Andrew Barton “Banjo” Paterson でしたが、お気に入りの馬の名前を取ってThe Banjo と言うペンネームを使っていました。
スコットランド移民の父親とオーストラリア生まれの母親をもつ彼は、ニューサウスウェールズ州の Narrambla (オレンジの近く) で生まれました。
幼少の頃は牧場・農場で過ごした彼ですが、シドニーの学校に通うようになると学業もスポーツも優秀、16歳で大学入学を許可されるほどだったそうです。
弁護士の資格を取得後はジャーナリストとして活躍し、シドニーの雑誌に詩を載せて次第に有名になり、脚光を浴びるようになります。
1895年に農牧の生活を書いた詩集『The Man from Snowy River and Other Verses』の作者としても有名で、ワルチングマチルダの詩が書かれたのも同年1895年でした。そんな中で偶然に出来た歌が、こんなに後世まで歌い継がれるのですから分からないものですね。
ちなみに、The Man from Snowy River and Other Verses はこちらから読めます。(英語ですが)
おわりに
警察に捕まるくらいなら自分から死んでやる、オーストラリアの自然の中で繰り広げられる権力に屈したくない一般庶民の反骨精神。
軽快な曲調なのに悲しい内容は、かつての人々が心に抱いていた心の叫びを反映しているからこそ、いつまでも愛されているのかもしれませんね。