2007年という古い話になってしまったのですが、私はアジア人だらけのファームで働いていた事があり、同じアジア人でもこんなに国民性が違うんだと色々とショックを受けたことがありました。
これはあくまでも私が実際に体験して思った個人的なことで今とは違うこともあるでしょうし、一概にひとまとめにはできないでしょう。ですが、今のワーホリの人にも引き継がれていることだと思うので、とりあえず書いておこうと思います。
これが良いかの悪いのか、それは皆さんが判断してください。
カブルチャーのファームで起きた喧嘩
これは、2020年現在でも悪名高いファームが多い地域だという話を聞くこのとのある、クイーンズランド州のカブルチャー (Caboolture) での出来事です。オーストラリアでワーホリしていた人なら、名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
この地域はブリスベンから電車で約50分ほどの場所にあり、当時ギリギリセカンドビザが申請できる地域に入っていたということで、カブルチャーは便利な場所でした。
…と言っても、私はとっくの昔にセカンドビザを取得していたのであまり関係はなかったのですが、その前に住んでいたゴールドコーストからもわりと近かったのと、その前に他のファーム2カ所も経験していてファームはシティで働くよりも稼げるというイメージがあったからです。
アジア人ばかりのファーム
そのファームは経営者がベトナム人で、そこで働いていたのはほぼ全員アジア人です。ベトナム人、韓国人、台湾人、香港人、日本、それにベテラン季節労働者の中にはサモアやその他の国の人たちなど。(中国はまだワーホリ制度が導入されてません)
時々ヨーロッパ系のワーカーも来ていたのですが、家が汚いとかベトナム語訛りが強いオーナーとコミュニケーションが取りにくいとか色々で、少し滞在しても、大体はすぐに去っていきました。
確かに、ベトナム人オーナーが用意してくれた週$50という破格の一軒家のシェアハウスは食器や家具もなく、3部屋しかないのに15人ほどが寝泊まりしているという今考えれば違法ですし、劣悪な環境だったかもしれません。
ただ、アジア人ワーホリ組は稼ぐのが目的で来ていましたし、若さゆえか意外とそういう生活もワイワイして楽しかったんです。
結局私はシーズンの始まりから終わりまでの約2ヵ月半ほどそこにいて、結果的にそれなりに稼がせてはもらいました。でも、最初から順調だったわけではありません。
着いてすぐベトナム人オーナーに「去年の今頃はシーズンに入っていたけど、今年は寒すぎてまだ摘めるイチゴがないので待つしかない」と言われたんです。
香港の3人組が大激怒
2週間ほど待機したでしょうか。
正直、いつ稼げるようになるのか不安でした。でも、ひたすら待つしかない日々。
でも天候は人間がコントロール出来るものではないので、仕方ないとあきらめるしかありません。時々雑草取りのような仕事はあったものの、暇が多くてみんなで BBQ やゲームなどしながら繁忙期が来るのを待ってました。
(カブルチャーでは、繁忙期が来ると言って早めにワーカーを確保しようとするファームも多いみたいですが、そこがそうだったのかはわかりませんし、繁忙期前にワーカーを確保したい気持ちは分からなくはないです)
最初の事件が起こったのはそんな時です。
ある日、香港の女の子3人グループが、ファームでベトナム人オーナーに対して「今すぐ稼げるって言ったのに嘘つきじゃない!警察に言うわよ‼︎」と大喧嘩を始めたんです。
その結果、彼女たちはオーナーに「もう出て行け!」と言われてしまいます。
私はこの様子をそばで見ていたのですが、私は以前にもファームのスーパーバイザーや同僚と喧嘩ばかりしている香港の人を見たことがありました。でも、喧嘩したところで天候をオーナーがどうにか出来るわけでもないですし、喧嘩してもオーナーからの評価は悪くなるだけで、仕事をまた一から探す羽目になったら大変なのになあ…と喧嘩している理由が理解出来なかったんです。
その疑問は、彼女たちと同じ屋根の下で過ごすのが最後になってしまった夜に聞くことが出来ました。
彼女たちと今後のことなど雑談をしていたら、その中のひとりに「今まで何人も日本人を見て来たけど、オーナーに怒った人は1人も見た事がなかったわ。何で怒らないの?」と聞かれたからです。
私は「逆に私が今まで見た香港人はオーナーと喧嘩する人が多かったけど、なぜなの?私はよく理解出来ないんだけど」と聞き返しました。
すると「論争 (argument) は私たちのアイデンティティだからね!」という答えが返って来たんです。
…なんとまあ。
当時まだ日本から離れて1年ちょっとだった私は、この返答に衝撃を受けました。
確かに日本人は文句を言わな過ぎるので、オーストラリアでは足元を見られないようにもっと主張した方が良いと思うこともあるのですが、上司に当たる人と無闇に喧嘩をすることが得策とは思えなかったし、日本ではほぼあり得なかったですからね。
国が違うとこんなに考え方が違うんだなあと、とても興味深く思いました。
でも繁忙期になって忙しくなった頃、もっと国民性の違いが浮き彫りになった出来事が起こります。
お金が発生しないと言われたら?
そのうちハイシーズンになり、イチゴを摘んでも摘んでも全然間に合わないほど忙しくなりました。
私たちワーホリは稼ぎたい一心ですから、みんな競ってイチゴを摘んだものです。他の季節労働者は暗くなる前に帰っていくのですが、私たちは日が暮れて真っ暗になるギリギリまで仕事をしました。
人によっては1日千ドル稼いでいましたし、私も意地悪なスーパーバイザーに目を付けられたりベトナム人オーナーに若干ムカついたりとかもある事はあったものの、それなりに稼がせてもらいました。
そんなある日、3日くらい大雨が続いた日があったんです。
これでは仕事は休みかも?と思っていたら、雨が降るとイチゴが腐ってしまうから、早くイチゴを摘まないといけないとのことで、私たちは支給されたペラッペラのビニール袋みたいなレインコートを来て、雨の中をいつものように働きました。
雨の中の仕事は大変ではありましたが、雨でも稼げるので私たちにとってはむしろありがたく、それは全然平気だったんです。
でも問題は、雨が上がったその後。
無償で働いたのは日本人だけだった
雨は上がりましたが、大雨の影響で腐ったイチゴを取り除かないと良いイチゴもダメになってしまうので、早急に作業をしないといけないとのことでした。
でも、オーナーは取り除いた腐ったイチゴは売り物にはならないからお金は出せない、でも取り除かないと今後の私たちの稼ぎにも影響するからやってくれと言い出したんです。
普通に考えて「はああああ〜⁉︎」という話で、韓国人グループは「お金を出さないなら働かない!」とテコでも動きませんでしたし、わりと日本人と感覚が近い台湾人の人たちも同じ意見。
結局、それでも仕事をしようとファームに出てきたのは、ファームで働いていた日本人全員、私を入れて4人だけでした。
その時の私たちの心境としては、オーナーには色々お世話になっているし、困っているなら助けてあげるしかないと普通に思っていた感じです。(昭和生まれの私たちは、それが当たり前のような感覚でした)
当然4人だけで間に合うはずもなく、最終的にはオーナーが折れ、ちゃんと賃金が支払われるということになり、大勢いた韓国勢たちが戻って来て一件落着。ついでに今までお金にならなかったクズイチゴも、摘んだらお金を出してくれるように変わりました。
私たちがそういう恩恵に預かれたのは、無給を拒否した人たちのお陰です。ただ、この時オーナーの日本人に対する好感度は上がりはしました。(良いか悪いかは別として)
でもきっと、韓国の人たちは私たち日本人が理解出来なかったでしょう。
そして、この後にもうひとつ驚く事件が起こります。
容赦ない行動にびっくり
私たちと一緒に住んでいたベテランワーカーの年配ベトナム人男性がある日、彼の奥さんも呼び寄せ、彼女もピッカー (ピッキングをする人) として私たちと一緒に働くことになりました。
30代〜40代くらいの女性だったので仕事に慣れているのかと思いきや、彼女のピッキングのスピードは驚くほと遅く、他のワーホリピッカーとはかなりの遅れを取るのが常。
もし私たちがあまりにもスピードが遅いとオーナーやスーパーバイザーにプレッシャーをかけられるものですが、彼女はオーナーとコネクションがあるのか何なのか、誰からも何も言われる事はなかったようです。
ところが…!
なぜか、彼女は優秀なピッカーとしてオーナーに扱われていたんです。
いつ誰が何箱イチゴを摘んだのかは記録されて張り出されるので、後から誰でもすぐ見れるのですが、それによると彼女はトップに近い数を摘んでいることになってました。
こんな記録が毎日張り出されます
もしかしたら、彼女の旦那さんが自分の分をあげていたのかもしれません。
そういうことは連日続き、遅くても誰にもプレッシャーをかけられず、それどころかオーナーに褒められる彼女に対して私たちはちょっと納得出来ないモヤモヤした気持ちになってました。
容赦ない言葉
そんなある日、結果しか見てなくて普段の働きぶりを知らないであろうオーナーが、私たちの前でそのベトナム人女性のことを「彼女は優秀な女性だから、みんな見習わないとな」とベタ褒めしたんです。
それで容赦なく騒いだのは韓国人のグループ。
「彼女は良いピッカーじゃない!めちゃくちゃ遅いんだから!」「あの結果は何かおかしい!あり得ない!」とまくし立て、困惑した顔のオーナー。
私はまたもや黙ってその様子を見守ることしか出来ませんでしたが、確かに何か不正なことをしてるのでは?と思ったことはあるものの、色々とお世話になったベトナム人男性の奥さんについて、そこまでズケズケ遠慮なく言うのもどうなのかと思ってしまいました。
だって、私たちはみんな結構彼に良くしてもらっていて、カジノやご飯にしょっちゅう連れて行ってくれてましたし、みんなも当時の首相ジョン・ハワードというあだ名を付けて散々おだててたんですよ。
それからどうなったのか私は分かりませんし、多分、聞いても教えてくれなかったでしょう。でも、周りがギクシャクし始めたのは確かです。
後から台湾人のワーホリ仲間から聞いた話によると、ベトナム人男性はまさかこういう仕打ちが来るとは思ってもなかったようで、かなり失望していた様子だったとのことでした。
だからあれ以来、私たちに対して冷たくなったというか距離が出来てしまい、それまで仲良くしてくれていた周りのおばちゃんピッカーたちも「あの子たちは口ばっかり達者で真面目に仕事をしない」と悪口を言うようになって、私は何と答えて良いか困りました。
当の本人たちはもうイチゴシーズンも終わる頃でしたし、ちょこちょことサボるようになり、どうせ期間限定の一時的な滞在だしと大して気にしてなかったようです。
繁忙期が過ぎて、まだズッキーニの仕事ならあると言われたのですが、私は南へ移動することにしました。
その時、ベトナム人オーナーの奥さんに「来年もあなたみたいな日本人に来て欲しいのよね。私、日本人が大好きなの!」と言われ、複雑な気持ちに。
オーナーはハサミが切れないというだけで「これは中国製か!F○○○ing チャイナ!」と悪態をついていましたし、ファーム自体も色々とあったのですが、今となっては貴重な経験だったと思います。
おわりに
よく、先人の日本人のお陰で今の人が恩恵にあずかっているから感謝しなければという話も聞きますし、反面、日本人は考え方がやばいという日本人もいます。
その国が持った国民性やカラーがあり、良い方向に行くこともあれば裏目に出ることもあるよなあと考えさせられた体験だった、そういう話でした。