オーストラリアはかつてイギリスの植民地で囚人の流刑地だった、というのはよく知られた話ですが、そもそもなぜイギリスはオーストラリアを選んだのでしょうか?
その経緯にはイギリスの産業革命やアメリカの独立戦争なども大きく関係しています。
久しぶりの歴史シリーズ、今回はオーストラリアが植民地になるまでの歴史を辿ってみましょう。
※ 昔書いた長文記事を分解したので、以前と内容が重複しています。
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産業革命と貧困
18世紀の半ばから19世紀半ばにかけて、イギリスでは産業革命 (Industrial Revolution) が起こりました。蒸気機関などの発明により手作業ではなく機械で効率的に大量生産する事が可能になり、社会が大きく変わったのです。
労働力を買い利益を追求する工場が増え、資本主義社会が急激に発展していった時代でもあります。
それは同時に、労働力を提供して報酬を得る人たちにとって苦しい生活を強いられる事にもなり、多くの失業者や安い賃金で過酷な労働をする人たちを生みました。
町に人が溢れかえった原因のひとつには、新農法の第2次囲い込み (Enclosure) という制度導入も影響したと言われています。今まで放牧などに使っていた共有地が突然使用できなくなった為、仕事が出来なくなった農民たちも都市部に出て来たのです。
結果、イギリスでは犯罪が増加し、貧しさからパンなどを盗むなどの軽犯罪が頻発。刑務所はたちまち満員になり、収容に困るようになりました。
ティムズ川に浮かぶ刑務所
そこで、古い軍艦を改造したハルク (hulks)と呼ばれる刑務所が考え出されました。これは船の規模でも異なりますが、だいたい平均約275〜300人が収容可能だったようです。
しかしハルクはすぐにいっぱいになり、1791年までには7艘に増えています。
維持費も馬鹿にならず、受刑者たちは自分の食い分を稼ぐ為に労働に駆り出されましたが、長時間労働と貧しい食事で病気が蔓延し、ハルクでの環境は劣悪。イギリス政府の頭の痛い問題となっていました。
(参考: http://stuart.scss.dyndns.info )
アメリカの独立も影響
それでも、それまではアメリカにあるイギリス植民地に受刑者を送る場所があったのですが (推定約4〜5万人が送られている)、1775年〜1783年にアメリカ独立戦争 (American Revolutionary War) が起こり、戦いに勝利したアメリカ側はそれ以上の受刑者受け入れを拒否しました。
これにより、イギリス政府は早急に新たな場所の確保の必要性に迫られたのです。
世界の果てダウンアンダー
そこでイギリス政府が目を付けたのが、1770年にジェームズ・クックが調査したオーストラリア大陸です。
地の果てにある未開の地ですが、クックの航海に同行した植物学で政治家のジェセフ・バンクスもオーストラリア大陸を囚人を送る事を推していました。
→ クック船長が夢見た世界の果て
→ バンクス冒険記 〜植物学者の見た新大陸〜
ニューサウスウェルズ植民地の始まり
シドニー王立植物園にあるアーサー・フィリップ像
こうして1787年5月13日、当時のイギリス国王ジョージ3世の命を受け、アーサー・フィリップ (Arthur Phillip) の率いる11艘の第1艦隊がオーストラリア大陸を目指してポーツマスを出発しました。この時船に乗っていたのは1350人のうち780人が囚人で、女性は約20% だったそうです。
8カ月にも及ぶ過酷な航海の末、1788年1月26日に現在のシドニー湾であるシドニーコーブへ到着。この日が賛否両論で揉めているオーストラリアデーです。
→ 複雑なオーストラリアデーの背景
そのシドニーコーブのポートジャクソン (現在のロックス) に西洋人による最初の町が作られ、植民地支配の歴史が始まりました。
この後も1790年に第2船団、1791年には第3船団と定期的にイギリスから囚人が連れて来られています。囚人ではない最初の自由移民が来れるようになったのは1793年からです。
オーストラリアに送られた人たちは、道路工事や建物の建設などの貴重な労働力になりました。
彼らが作った遺跡は現在ではユネスコ世界文化遺産に登録され “オーストラリアの囚人遺跡群 (Australian Convict Sites)” として残っています。
送られた人の割合
1788年から囚人輸送が廃止される1868年までに受け入れた囚人は、ニューサウスウェールズが全体の約50%、タスマニアが約42%、西オーストラリア6%、ビクトリア2%となっています。クイーンズランドにも多少送られましたが、南オーストラリアは受け入れていません。
おわりに
こうやってオーストラリア大陸が植民地になって行ったんですね。特に初期の頃ははイギリスやアメリカなどの歴史とも密接に繋がっています。
オーストラリアがイギリスから独立するのは1901年、まだまだ先の話です。だからオーストラリアという国自体の歴史は新しいと言えますが、各地には現在も植民地時代の建物が多く残されていますので、意外と歴史を感じる国でもあります。