児童文学作家兼イラストレーター『メイ・ギブス (May Gibbs)』とその作品

『スナグルポットとカドルパイ (Snugglepot and Cuddlepie)』という児童書は、オーストラリア人なら知らない人がいないのではないでしょうか。

この本は、20世紀に活躍した児童文学者兼イラストレーターのメイ・ギブス (May Gibbs、本名 Cecilia May Gibbs 1877-1969) の代表作で、彼女の著書にはオーストラリアの自然がモチーフになったキャラクターがたくさん出てきます。

そのブッシュファンタジーの世界は1世紀以上にもわたってオーストラリア人を魅了し、オーストラリア人の心の中に特別なものを残して来ました。

この記事では、メイ・ギブスと著書について、より理解が深まるようにまとめています。

May GibbsMay Gibbs, Australian children’s author and illustrator

 

メイ・ギブスがデビューするまで

Bush

1877年1月17日、メイ・ギブスはイギリスのケント州シデナムで芸術家で漫画家、そして公務員だった父ハーバート・ウィリアム・ギブス (Herbert William Gibbs) と母セシリア・ロジャーズ (Cecilia Rogers) のひとり娘として生を受けました。

メイが4歳の時、両親に連れられてオーストラリアへ移住。

最初は南オーストラリア州で農業に挑戦し、その後西オーストラリア州の農場で2年間働きましたが上手くいかず、最終的にパースの南側に定住しています。

多感な時期にブッシュ見て育ったメイは、後に生み出すキャラクターの基礎をここで育みました。

クリエイティブな家庭で育ったメイは、幼い頃から芸術的才能を発揮し、後年のメイは「歩けるようになる前から絵を描くことができた」と回想しています。

イギリスで美術の勉強をする

メイ・ギブスが23歳だった1900年、メイはロンドンで美術の勉強をするためにイギリスへ渡りました。

日中は Cope and Nichol Art School で学び、夜間は Chelsea Polytechnic Institute のクラスを受講する生活をして、絵のスキルを磨きます。

しかし、無理をし過ぎたのが健康を害してしまい、両親の説得もあり1904年にパースに帰国しました。

パースでは西オーストラリア州の雑誌 Social Kodak に Blob というペンネームでイラストを描いたり、5年間にわたって Western Mail という新聞に記事や漫画を連載しています。

ですが、やはりロンドンで美術の勉強をすることを諦められず、1909年に32歳のメイはロンドンに戻り、今度は Mr Henry Blackburn’s School に通い、Chelsea Polytechnic Institute の夜間クラスも受講しました。

イギリスでも様々な新聞に記事やイラストを寄稿したり、『Common Cause』というサフラジェット (婦人参政権を支持する女性団体) の出版物に風刺画を書いたりしていました。彼女の生涯の友人となる女性活動家のレネ・イームズ (Rene Eames) と出会ったのもこの頃です。

そして、1912年にメイ・ギブスの最初の本『About Us』というロンドンの煙突生活の物語を書いた子供向けのファンタジーが出版され、これが彼女のデビュー作になりました。

この本はイギリスとアメリカで出版されましたが、オーストラリアでは出版されていません。

もともとは、彼女が1910年に書いた『Mimie & Wog』という、カンガルーやアボリジナルの人々、ブッシュファイヤーなどが出てくるオーストラリアの物語でした。ですがオーストラリアでは出版出来ず、未発表になっていたものをイギリス人向けに書き直したものです。

シドニーで生み出されたキャラクターたち

多忙なスケジュールをこなしていたメイは再び健康を害し、1913年にルネと一緒にパースに戻り、Western Mail に漫画を描き始めました。

しかし彼女の母親とルネの折り合いが悪くなって来たため、メイはルネとシドニーに行き、ニュートラルベイに定住。

May Gibbs' Nutcote
©️ May Gibbs (May Gibbs’ Nutcote in Neutral Bay NSW)

そこで彼女は出版社 Angus & Robertson 働き、文学月刊誌『Lone Hand』や、ニューサウスウェルズ州の大手新聞『Sydney Mail』の表紙をを描くなどで生計をたて、イラストレーターとしての地位を確立しています。

そんな彼女が文章とイラスト両方を手掛けた『ガムナット・ベイビーズ (Gumnut Babies)』が出版されたのは、1916年12月のこと。

 

これは5冊あるシリーズのひとつです。

  • Gumnut Babies (1916年)
  • Gum-Blossom Babies (1916年)
  • Flannel Flowers and other Bush Babies (1917年)
  • Boronia Babies (1917年)
  • Wattle Babies (1918年)

 

また、第一次世界大戦が勃発した時には、そういったキャラクターが描かれたポストカードや、しおり、カレンダーなど、様々なグッズを作成し、販売。これは戦地で戦う兵士にも送らました。

下の写真にマスクをしている絵がありますが、ちょうどスペイン風邪が流行っていた頃に描かれたものだからです。

May Gibbs' Nutcote
©️ May Gibbs (May Gibbs’ Nutcote in Neutral Bay NSW)

オーストラリアの自然を舞台にした彼女の作品はとても人気がありました。

そして、1918年に出版された最初の長編物語『スナグルポットとカドルパイ (Snugglepot and Cuddlepie)』は、初版で1万7千部以上売れ、熱狂的なファンを獲得しています。

May Gibbs' Nutcote
©️ May Gibbs (May Gibbs’ Nutcote in Neutral Bay NSW)

1920年には『リトルラグド・ブロッサム (Little Ragged Blossom)』1921年に『リトル・オベリア (Little Obelia)』が発表されました。

1940年にこの3部作で構成された『スナグルポットとカドルパイのアドベンチャー完全版 (The Complete Adventures of Snugglepot & Cuddlepie)』は、現在でもオーストラリアで出版され続けています。

May Gibbs' Nutcote様々な大きさや質の本が売られていますよ

こうしてこのキャラクターたちは、何世代にもわたってオーストラリアの子供たちを喜ばせることになったのです。

May Gibbs' Nutcote

日本語版も2002年にメディアファクトリーから出版されていますが、現在は絶版になっています。

もしかしたらオーストラリアの動植物ばかり出て来るので、日本の子供たちには分かりにくかたかも…?

キャラクターや物語については、またどこかで詳しく紹介出来たらと思います。

結婚と晩年

1919年、彼女が42歳の時に鉱山代理人バートラム・ジェームス・オッソリ・ケリー (Bertram James Ossoli Kelly) と結婚しました。

女性の地位が確立されていなかった時代、作家、漫画家、コラムニストとして多忙だったメイ・ギブスでしたが、彼は彼女のマネージャーとして甲斐甲斐しく仕事や生活をサポート。

Angus & Robertson と印税に対する意見の相違があったため、1920年代に出版社を変えて、書き続けました。当時の女性の給料は、男性と同じ仕事をしてもかなり低かったようです。

1923年に『ナッティバブとニッターシング (The Story of Nuttybub and Nittersing)』を、1929年には『二人の小さなガムナッツ: チャックルバッドとワンキードゥ (Two Little Gumnuts: Chucklebud and Wunkydoo)』を出版。カレンダーやグッズも販売されています。

May Gibbs' Nutcote
©️ May Gibbs (May Gibbs’ Nutcote in Neutral Bay NSW)

彼女はオーストラリア初の女性漫画家として、1924年8月3日から Sydney Sunday News に『ビブ & バブ (Bib and Bub)』を掲載。これはオーストラリアで最も長く続いた漫画となり、彼女が亡くなる2年前の1967年まで連載が続きました。

『ビブ & バブ』の漫画本は5冊出版されています。

  • Bib and Bub Their Adventures, Part 1 (1925)
  • Wee Gumnut Babies – Bib and Bub Part 2 (1925)
  • Further Adventures of Bib and Bub (1926)
  • More Funny Stories about Old Friends Bib and Bub (1928)
  • Bib and Bub in Gumnut Town (1929)

同誌では1925年から1935年まで『Gumnut Gossip』というコラムも連載されています。

May Gibbs' Nutcote

2番目の漫画はライバル誌のSunday Sun で、パイプを加えた豚 Tiggy Touchwood の話が「Stan Cottman」というペンネームで1925年から1931年にかけて掲載されました。

新しい家を購入

May Gibbs' Nutcote

彼らはシドニー郊外ニュートラルベイに英国風の庭園がある家を建て、1925年に移り住んでいます。

ここが現在メイ・ギブス美術館兼博物館になっている『ナットコート (Nutcote)』です。

May Gibbs' Nutcote家からの眺め

ナットコートについては、記事があるので、詳しくはそちらを読んでみてください。

シドニーとニューサウスウェルズ州の観光ブログ

今回紹介したいのは、『メイ・ギブスのナッ […]…

メイの本は全て再販され、順風満帆のようでしたが、1930年代の世界大恐慌のせいで、贅沢品とみなされる芸術分野で働く人々にとっても厳しい時代でした。

本の売り上げは低迷し、イギリスとアメリカでの作品販売や映画化の話も中断。そのことにより、彼女は経済的に回復することが出来ていません。

1939年に夫が亡くなった後も、メイは愛犬のスコティッシュテリアと共にニュートラルベイの家で暮らしながら仕事や庭の手入れに忙しくしていました。

1941年に『ガムナットランドのスコッティ (Scotty in Gumnut Land)』1943年に『ミスター&ミセス・ベア&フレンズ (Mr & Mrs Bear & Friends)』を発表。

そして彼女の最後の作品は、1953年の『ダンデライオン王子 (Prince Dande Lion)』でした。(漫画の連載はその後も描き続けています)

May Gibbs' Nutcote
©️ May Gibbs (May Gibbs’ Nutcote in Neutral Bay NSW)

1941年に最愛の両親が亡くなり、1950年代には親友のルネもこの世を去りました。

1955年、メイ・ギブスはオーストラリアの児童文学の貢献が認められ、大英帝国会員 (MBE) に任命されています。

1967年4月、90歳になったメイは最後の漫画を完成させ引退。

1969年11月27日に彼女の訃報が知らされた時は、多くのオーストラリア国民が悲しみました。

おわりに

世代を超えて語り継がれるファンタジー。

後年、彼女は「私の本を楽しんでくれた全ての子供たちのことを考えると、いつもとても幸せだった」と語っています。

彼女が生み出したキャラクターは、現在でも時々イベントやグッズなどで見掛けるので古く感じませんが、実際はかなり古いものです。

それまであまり独自のキャラクターがなかったオーストラリアで、メイ・ギブスの作品はどれだけ国民の心を明るくしたでしょう。

戦地でポストカードを受け取った兵士は、きっと故郷を懐かしく思ったに違いありません。

 

参考にした資料:
Published author | May Gibbs | Stories | State Library of NSW
About May Gibbs | May Gibbs’ Nutcote
About May Gibbs | May Gibbs Official Site