私がオーストラリアでワーキングホリデーをしてたのは2006年からの2年間なので、いつの間にかもうひと昔前の事になってしまいました。現在ワーホリをしている人たちの過ごし方と比べると、かなり変わったのを感じます。
当時はスマホはまだなかったので紙の地図を片手に観光してましたし、連絡先の交換は Email か mixi。他にも「今は便利になったなあ〜」と思う事が多くあり、うらやましいようなさみしいような…。
という事で、今回はひと昔前のワーホリ生活は今とどう変わったのか?を振り返ってみようと思います。
荷物の軽量化が可能になった
私が今の人たちを見ていちばんうらやましいと思うのが、持ち物の軽量化できる事です。
荷物が重いというトラウマで、私はシドニーに定住する事になってもしばらく “自分の持ち物をいかに軽くするか” に心を砕いてました。
移動型のワーホリだったクセに荷物が多かったので、都市移動や旅行の時にはスーツケースとバックパック+αが重くて本当に大変だったんですよね。
しかも、当時すでに旧型になっていたノートパソコン (Windows Me) を日本から持って来ていたのですが、それがズーンと本当に重たくて持ち歩くのにひと苦労。加えて電子辞書も必需品で、それも小さな紙の辞書くらいの重さはありました。
それに本も重くて、特に旅行者のバイブル『地球の歩き方』は分厚くて場所も取りましたが大切な情報源なので手放せませんでしたし、あと英語の本もくせ者で。
日本から持って来た英語関係の本数冊、それから語学学校でもらった教科書も後生大事に持ってました。と言うのも、ないとなんとなく不安だったからです。(まあ、持ってて安心するだけで読まないんですけどね…)
でも今は、書籍、カメラ、ノート、パソコン…全部スマホや iPad などで済ませられますよね。しかも、iCloud や Google Photo などで自動的にデータを保存するサービスもあるので、私のように大切な写真を紛失してしまうリスクもなくなりました。
当時の私はデジタルの仕組みがよく分かってなくて、メモリーカードからパソコンにデータを写せると知ったのも CD-ROM に写真を焼けると知ったのもオーストラリア。音楽や写真をもっとパソコンに入れて来れば良かった…と、後からとても後悔しました。
基本的に情報収集は紙
ワーホリの情報収集も、だんだん一般家庭にもインターネットは普及し始めていたものの、まだ主に紙の媒体が主流で、私はビザ申請も漫画喫茶のパソコンでしたんですよね。ああ、懐かしい…。
あの頃はブログをする人もまだそんなにいなかったですし、実際に行って来た人の話を聞いたり体験談を読んだりもしてもオーストラリアの生活がどうもイメージできなくて、ただただ未知の世界という感じだったのを覚えています。
だから現地で困ると嫌なので、ガイドブックや留学関連の本を買って、しっかりと調べていたものです。
今は Twitter とか Instagram とかで実際に現地にいる人とリアルタイムで情報交換も可能ですから、便利になりましたよね。(ムダな争いも増えたような気もしなくはないですが)
いつでもどこでも調べられるという感覚があるのか、ガイドブックも持たずに来る人が多くなっていて、本当にびっくりです。
今でもたまに「ワーホリ情報が少ない!」と言っている人を見掛ける事がありますが、私からすると、これでもまだ足りないと思う人がいるんだなあ〜と驚いてます。
携帯電話は白黒の旧式だった
オーストラリアでレンタルしてた携帯電話一台目と二台目
私たちがオーストラリアで手にした携帯電話は、画面が白黒で電話機能とテキストメッセージ、あと簡単なゲームがちょっと付いているくらいの日本では時代遅れのものでした。
2006年、日本の携帯電話はカラーで一応インターネットも出来ましたし、画質は悪かったですがカメラも付いていましたから「さすがオーストラリア!」と、ギャップがすごかったです。
テキストメッセージはもちろんアルファベットしか打てなかったので、日本人同士でも英語かローマ字でメッセージを送り合ってました。でも、ローマ字で打たれると結構読みにくいんですよね。
私はオーストラリアの日系携帯電話会社で電話をレンタルしていたのですが、2007年の終わりに日本にカタカナでならメールが送れる (文字制限あり) というサービスが始まった時はやったー!と思いましたよ。
ちなみに、日本の感覚で長電話してすごい通話料を取られた事もあるので、7分までなら通話無料という制度を有効利用して、7分毎に電話を切ってかけ直して頑張ってワーホリ仲間と近況報告し合ったのも良い思い出です。
まあ、その後日本は日本国内市場ばかり目を向けていた事で他国に先を越されてしまうわけですが、将来オーストラリアが日本よりもオンライン化が進むなんて、この時は考えてもいませんでした。
国際電話はコーリングカード
オーストラリアの携帯電話はもちろんオーストラリア国内しか通じませんから、日本に国際電話をかける時はコーリングカードを購入するのが常識でした。
今はネット環境があれば無料で LINE などで簡単に国をまたいで通話出来ますが、当時は固定電話か公衆電話でカードの番号を入力すると国際電話が安くかけられるというコーリングカードシステムの利用が必須。携帯電話にかけようものなら$20で15分くらいしか話せなかったのを覚えています。
複数の会社があって、OZコールという会社のコーリングカードが安いと有名でしたが、いつも混み合っていて繋がった試しがなく、繋がったと思ったら切れてお金だけ取られる事が多々ありイライラしたものです。
シドニーに来た時、日系エージェントで売ってた “パトちゃんのコーリングカード” だとめちゃくちゃ安く電話ができたので感動しました。(もう誰も知りませんよね)
でも、しょっちゅう電話かけるとお金がかかるので、私はよくインターネットショップから日本の携帯電話の Email にメッセージを送ってました。
当時、付き合ってた人が日本にいたのですよ…。その後すぐ別れたので、大量に買ったパトちゃんのコーリングカードがムダになってしまいましたけどね。
インターネットは30分無料か有料
当時、インターネットをする手段として、ワーホリの間でいちばんの主流だったのは、現地の旅行エージェントや日系電話会社などの会員になって30分無料インターネットを使う方法です。
エージェントの一角にパソコンが4台くらい置かれていて、いつもワーホリの人たちでいっぱいでした。なので、予約ノートに名前を書いて順番待ちも珍しくなかったです。
30分で足りるの?と思うかもしれませんが、あの頃はネット利用は生活の中に組み込まれるほどではなく、ちょっとレシピを検索したり Email をチェックしたりするくらいしかする事がなかったので、わりと十分でした。
高かったり日本語が読み込めなかったり
他にインターネットを使う方法としては、有料のネットショップに行くか、運が良ければシェアハウスにインターネットがあるという感じ。図書館やバックパッカーズホテルにもインターネット出来る場所はありましたが、とにかく値段が高くて私には贅沢でした。
シェアハウスのインターネットも英語しか打てなかったり、日本語自体が読み込めずに “◽︎◽︎◽︎◽︎” としか表示されなかったり。仕方ないのでローマ字でメッセージを送った事もあります。
まだダイヤル回線で Wi-Fi なんてなかったので、シェアハウスにあったパソコンの回線コードを自分のパソコンに繋ぎ直して使用している人もいましたが、私の Windows ME は旧式でそのコード差し込み口すらありませんでした。
図書館が閉館になった途端に電源が落とされて、写真のデータが全部飛んでしまった人もいてかわいそうでしたね。
インターネットは韓国系が早かった!
オーストラリアは国土が広い上に人口が少ないのでインターネットの工事が大変でなかなか発展しないと言われていましたが、そんな中で、韓国系のネットショップは読み込み速度が速くて値段も安かったです。
韓国の人たちは韓国版 mixi のようなものをよく使っていて、韓国人のネットワークは当時からすごくて「稼げるファームを見付けたかったら韓国人の多いファームを探せ」と言われていたほどでした。
連絡交換の手段は Email
今は LINE や Twitter や Instagram や、様々な SNS があるので連絡先をパパッと登録すれば済む事ですが、当時は Email のアドレス交換が基本でした。
日本人は “出会い帳” というノートに Email アドレスや国に帰った時の電話番号、メッセージなどを書いてもらう人も多かったです。
ただ、この Email がまたくせ者で、ノートに書いてもらったら必ずその場で不備がないか確認が必要でした。
というのも、字が汚くて読めなかったり、大文字か小文字か分からなかったり、送信エラーになって返って来る事もよくあったからです。
でもメールというのは最初は盛り上がってマメに連絡を取るんですが、どちらかがマメに連絡を取らないと次第に交流が途絶えがちです。
話題がなくなってから「あ、ずっと昔からの友達のように思ってたけど、そう言えばまだ数週間、数カ月単位の付き合いだったんだ…」と後から気付く、みたいな。
mixi
当時、ワーホリの人たちがいちばん使ってた SNS は “mixi” で、よく「IDは何?」と聞き合っていました。みんな偽名で登録しているので、IDじゃないと見つからないからです。
途中から日本では “キャラを作って楽しんでいるので、身バレは困る!” という苦情が相次いだらしく、メールアドレスで検索ができない仕組みになってしまたので、基本的にリアルで繋がっていたワーホリ勢たちには超不便でした。
とはいえ、私が mixi を使い始めたのは、オーストラリアに来て1年半が過ぎた2008年の初め頃で、あの時からネットショップ通いを覚えました。
2007年頃、旅行先で知り合ったヨーロピアンから聞いて “Facebook” の存在を知ったのですが、その頃は日本語が導入されていなかった事もあり、日本人には知名度がほとんどありませんでした。
2009年くらいに日本語が導入されてからは、いきなりどっと日本人ユーザーが増え、近年はスマートフォンの普及でアカウントを持ってない人の方が珍しくなってました。…が、それはもう昔の話。今は Facebook をやるのは年配の人だけみたいなイメージで、若い人は Instagram とか別のツールを使ってますからね。
でも、分かります。私も Facebook の村社会感覚が苦手で、もう使っていません。
ただ、Facebook は Emailと違って、積極的に連絡を取らなくてもお互いの近況が分かるので良いなあと思いました。今でも当時出会った人たちと多く繋がってるので、開くとめちゃくちゃインターナショナルな感じにはなってます。
アメブロ
だんだん自宅にインターネットがある人も増えたなあと思ったら、スマホも登場。私が知り合いのベテランマッサージセラピストさんに影響されてアメブロを始めた2015年には、私の周りでもブログをする人がぐんと増えていきました。
その頃、奇しくも日本ではキラキラ起業女子というのが流行り出していて、アメブロは集客ツールとしても人気がありました。
ちなみに、アメブロをブログだと思っている人も多いですが、私はブログっぽい SNS だと思っています。
変わっていく自分を表現する媒体
思えばスマホの台頭やインターネットの発達で、字を書く機会がグッと減りました。携帯電話が普及したら電話番号を頭の中で記憶する必要がなくなりましたが、漢字も最近忘れがちです。
十代の頃からちょこちょこ付けていた紙の日記も、すっかり書く回数が減っています。他の人はどうなのか分かりませんが、私は mixi に始まって、Facebook、アメブロ、Instagram、Twitter、個人ブログ…と、自分の気持ちや考えをアウトプットするツールが増えたので、わざわざ紙に書く必要性がなくなって来たんです。
まあ、人目に晒したくない事や発信するまでもない事もあるので、たまーに気持ちを整理するためにノート使う事もありますけどね。
2006年にオーストラリアに着いた時にはスケッチブック日記と、ワーキングホリデーに行くと決めた時から付けていた “ワーホリ帳” なる日記を持ってましたが、かなり変わったものです。
とにかく、デジカメがあって良かった!
とりあえず私たちの時代にはギリギリデジタルカメラが普及していたので、まだラッキーだったのかもしれません。
私は、昔のシェアメイトに「Eri の撮った写真を見ればだいたい私の1日の行動が分かるよね」と言われたくらい写真を撮るのが好きなので、日本から大量のフイルムを持って来なくてはいけなかったでしょうし、それでは絶対に足りなかったでしょうからね。それに、フイルムの空港でエックスに当てると変色するので、保護のための専用袋も必要ですしね…。(今の人は分かんないですよね💧)
オーストラリアではフイルムも現像代も日本の倍くらいかかると聞いていたので、もしデジカメがなかったらと考えたらゾッとします。
でも、今はスマートフォンだけでもほぼオッケーなので、荷物が本当に軽くなりました。
もっと昔は携帯電話すらなかった
今も「ネットの情報が古くて〜」と言っている人がいますが、生きている情報は古くなりやすいようです。
私の時代も、ひと昔前の情報が本やネットに書いてあったので、現地に行ってみて全然違う!と思った事が色々ありました。
例えば、もう「オーストラリアは物価の安い国」ではなくなっていましたし、「みんなTシャツとジーンズ」ではありませんでした。「洗濯機が粗いので、服がボロボロにならないために洗濯ネットが必需品だがオーストラリアでは売ってない」というのも過去の話です。
オーストラリアの衣服は日本に比べると割高で「この値段でこの質⁉︎」 とは思いましたが、オシャレな服装も多く、洗濯ネットも売ってました。
特に最近はダイソーも進出してるので、都市部なら大概のものは揃うでしょう。
町もどんどん栄えてる
ここ10年くらいでシドニーもかなり変わりました。アジア系のお店が更に増えましたし、ダイソーだけではなくユニクロや無印良品なども出来ましたからね。
ダイソーは ¥100 ではなく $2.80 ですが、オーストラリアで買えると思ったら全然安いです。オーストラリアに来て間もない頃、普通の洒落っ気もないシャープペンシルの値段が高過ぎてびっくりしましたから。(日本の3〜4倍はしたと思います)
あ、でも昔はホストファミリーへのお土産にダイソーは重宝したものですが、オーストラリアで売っているとなると別のものを考えないといけなくなりましたね。
もっと前からシドニー にいる人によると、もっと昔は日本食レストランもほとんどなく、自分たちで釣って刺身にしていたとの事。私がシドニーにたどり着いた時には日本食レストランもそこそこたくさんあったので、これにはびっくりです。
携帯電話すらなかった世代は、ホテルのノートや伝言板に「これを見たらこの番号に連絡ください」とメッセージを残してたんだとか…。もう想像がつきませんよね。
その人がそのメッセージを見るとは限りませんし、すごく気の長い話で考えただけで気が遠くなりそうです。
おわりに
この10年でビザの方針や値段、物価などもかなり変わってますが、今回はそれは抜きで書いてみました。
現在は、その気になればオーストラリアで日本語で生活して日本語の動画見てマンガ読んで、日本とほぼ変わらない生活が可能になりました。
便利な反面、海外に来た醍醐味は薄れてしまった気がするので良し悪しとは思いますが、私ももうインターネットなしでは暮らせません。
さあ、この先10年はどんな風に変わっていくんでしょうね?