スマホもないひと昔前にワーホリしてた私、こんな感じでした! (2006年〜2008年)

初めまして、Eri と言います。私は2006年にワーキングホリデービザでオーストラリアに来ました。

初めの予定では、1年だけ滞在するつもりでオーストラリアに来たのですが、なぜか永住権を取る流れになり、あっという間に11年の月日が流れています。

さすがにこれだけの期間オーストラリアにいると、あの頃のワクワク感も新鮮味もあまりなくなってしまいますよね (笑)

それに10年ひと昔と言いますが、当時はまだスマホの存在もなくて、時代は変わったなあと最近よく思います。

そんな私のワーホリ時代をちょっと紹介すると、こんな感じでした。

楽しかった私のワーホリ時代

Hervey Bay

ワーホリでオーストラリアに来た最初の2年は、もう楽しくて楽しくて「何で最長2年しかビザがないんだろう…」と何度も思ったものです。

2019年から3年目のビザ申請が可能になったそうですが、それをあの頃の私が聞いたら嫉妬してしまうでしょう。

(ちなみに私の肌は赤くなるタイプでなかなか黒く日焼けしないのですが、ファームで真っ黒になって嬉しかったです。この時が私の人生でいちばん黒い時でした)

何でも楽しめるのがワーホリの強み

「ワーホリは最初の半年はなかなか時間が経たないが、半年過ぎたら早い」と言います。

それは本当で、最初の半年は何もかもが初めてで「あれがたった数週間の出来事だなんて信じられない!」というくらい密度が濃かった日々が、慣れてくるとどんどん早く過ぎて行くような感覚がありました。楽しい時間はあっという間です。

あんなに楽しかったのは、きっとワーホリだったからでしょう。初めての海外生活で刺激がいっぱいでしたし、期間限定のビザでいずれ国に帰らないといけないと思うと、ワーホリは長い非日常のような生活でした。だから、ワーホリビザが切れて学生ビザに切り替えた途端、私のテンションが一気に下がって浮上するのにしばらく苦労したものです。

とりあえず、多少のトラブルや嫌な事があっても楽しめてしまうのが、ワーホリの強みではないでしょうか。

クルクルとめまぐるしい日々

ワーキングホリデーというビザは、何でも自分でオーガナイズ出来る素敵なビザだと思います。学校に行って勉強しまくっても、働きまくっても、旅行しまくっても、人に迷惑をかけなければ過ごし方は何でもOK。ひとつの都市でじっくり過ごすタイプの人もいれば、ラウンドと言ってオーストラリア中を旅行して回るタイプ人もいます。

私は色んな場所を自分の足でしっかり歩き込んで、その土地を感じたいという思いが強くあったので、旅行も挟みながらだいたい1カ所3カ月くらいを目安に移動してました。

やっと慣れたと思ったら、そこから離れて新たな地でまた一から住む場所や仕事を探す生活。それは毎回大変ではあったものの、それぞれ色んな出会いや経験が出来たので悔いはありません。(強いて言えば、もっと色んな場所に住んでみたかったですが)

何しろオーストラリアの国土は日本の21倍と広いので、場所が違うとまるで違う国のように雰囲気が変わるのが魅力です。

長距離バスも利用してかなりあちこち行きましたし、仕事もいくつも経験。学校も語学学校だけではなくスキューバダイビングを習ったり、チョークアートを学んだり、1日コーヒースクールにも行き、とにかく気になった事は出来る限り挑戦してました。

日本各地・世界各国に友達が欲しいという夢も叶った

昔からぼんやりと「日本各地、世界各国に友達を作りたいなあ…」と思っていた夢は、オーストラリアで叶える事が出来ました。

どこへ行ってもだいたい同じような境遇のワーホリの人たちがたくさんいるので、国籍を問わず友達はすぐ出来ます。

ただでさえ出会いと別れのスパンが短いワーホリ生活。特に私の場合は移動しまくっていたのでクルクルとすごい速度で目の前の人たちが入れ替わるようでしたが、あの頃に出会った人たちは印象深く、特別な存在という感じです。

まあ、10年以上経つと連絡を取り合う人も限られて来ますし、連絡が取れなくなった人たちもいますが、今でも繋がりがある人もたくさんいてシドニーに来る時に連絡をくれたりします。

たまに日本人とは関わりたくないという日本人を見掛けますし、海外で日本人とつるんでも意味ないとか言う人もいます。でも、日本で普通に生活していたら絶対に会えなかっただろうなーと思うようなタイプの人たちとも出会えたりしますし、私は人種で付き合う人を制限するよりも、人種は関係なく気が合う人と付き合えば良いんじゃない?という考えです。

オーストラリアにいる日本人はちょっと変わった人が多い、という話もありますけどね。

ファーム情報を探すのはひと苦労

2006年当時はまだ3カ月働いたらもう1年ビザがもらえるというセカンド制度が出来たばかりでしたし、今のようにいつでも気軽にネットをするような時代ではなかったので、ファームの情報が少なくて探すのが大変でした。バンダバーグには早くから日本のファーム斡旋エージェントがいましたけどね。

だから、その頃全盛期だった mixi で自分の紹介ページにファームで働いていた事を書いていたら「どうやってファームを探したんですか⁉︎」という知らない人からの質問がたくさん届いてました。

今ではシティのレストランやキャバクラなどでもファームを紹介してもらえるところがあるそうで、当時の感覚では考えられないのでびっくりです。

まあ良かった点は、あの頃はビザの申請条件が今よりもかなり緩かった事ですね。

ファーム女子とシティガールに分かれてた

あくまでも私の感覚ですが、当時はファームに行く人とシティで過ごす人がきっちり別れていた印象があります。

両方ガッツリ経験した私は、シティ派の日本人から「えー、ファームに行くなんてすごいね、私は絶対無理!」なんてよく言われたものです。

逆にファームで働く日本人は、情報を自力で探すようなバイタリティがある人が多く、ファームばかりリピートしている人が多いように思いました。(エージェントを通してファームに行く人とはタイプが全く違う感じ)

私もセカンドビザがなければ絶対行かなかったと思いますが、実際にオーストラリアに来てみて改めてこの国の広さを実感し「これは1年じゃ回り切れない」と悟ったので、どうしてももう1年ビザが必要だったんです。

でも、行って本当に良かったです!最初は無理だと思っていたファームの仕事は慣れたらとても楽しくなり、オーストラリアならではの経験が出来ました。

お給料も悪くなかったので、結局全部で3カ所 のファームに行ってます。

時代は本当に変わったと思う

今でも相変わらずたくさんのワーホリの人たちと出会う機会があり、いつの時代もみんなだいたい考える事は同じだなあ〜と思う反面、やっぱり私の頃とはかなり変わりました。

当時は今のように “オーストラリアは出稼ぎ目的” なんていう発想はなかったですし、ここ数年増えている「将来起業したい」と言っている人も、私の時代もいたのでしょが少なかったです。

何よりもスマホの存在は大きく、グーグルマップなんてなかったので紙の地図を一生懸命見ていましたし、バスに乗って知らない場所へ行く時は運転手さんに目的地に着いたら教えて欲しいとお願いしないと降りる場所が分かりませんでした。

そんな時代でしたから、日本人がほとんどいない僻地で3カ月過ごした時は日本語が恋しくて禁断症状も出ましたが、今はネットが発達しているのでそういう環境も難しいのだと思うと、あれはあれで良い経験だったのかもしれません。ちょっと複雑です。

当時、日本で普及し始めていた MP3 を通販で買ったものの、なぜかオーストラリアでも聴けるような洋楽ばっかり入れて来てしまい「日本の歌が聴きたいよ、うわーん」ってなっていたのも良い思い出です。 (←バカ)

連絡先交換は Email アドレス

当時はインターネットは有料のネットショップに行くか、30分無料で使うために日本の旅行エージェントに館員登録して利用するのが主流で、運が良ければシェアハウスにインターネットがあるという感じでした。しかも Wi-Fi ではなくダイヤル回線で、当然 line や インスタなどもありません。

日本人は “出会い帳” と言うものを持っている人も多くて、それに仲良くなった子のEmailアドレスや国に帰った時の電話番号、メッセージなどを書いてもらってました。

Facebook も既に存在していたものの、まだ日本語が使えなかったので日本人はほとんどやってなかったです。

長くなったので、そこら辺は別記事で。

おわりに

とにかく、私のワーホリは色々ありながらも最高に楽しかったので、今でも良い思い出です。そんな私の経験を少しずつ書いて残していこうと思っています!

誰かの役に立つかと言えば微妙ですが、興味があればぜひ読んでくださいね。

 

>Acknowledgement to Country

Acknowledgement to Country

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