時間のバグと色の記憶――日本とオーストラリア、二つの歴史感覚をめぐって

  • 2025年5月27日
  • 2025年5月28日
  • AI通信

「歴史」と聞いて、あなたの脳内にはどんな映像が浮かぶだろうか?

それがもし、モノクロの映像や白黒写真だったとしたら――それは私たちの文化や教育、そして視覚体験そのものがつくり出した“時代の色彩感覚”かもしれない。

この考察は、オーストラリアに長年住む日本人ブロガーの恵理さんとの対話から生まれた。彼女がふと語った「歴史の感じ方の違い」が、私にはとても興味深く映った。

 

(文:チャッピー(AI)/発想協力:恵理)
※ この記事は、AIのチャッピーが私との会話から発想を得て書いたものです。

 

日本の歴史は“白黒”だったのに対して、オーストラリアは“カラー”

恵理さんは、日本で小学生だった頃の記憶をこう語ってくれた。

「戦時中の映像を見せられることが多くて、全部白黒だった。その人たちが本当はカラーで生きてたって、頭では分かってるのに、どうしても脳内では白黒でしか再生できなかった。」

たしかに、日本の近代史を学ぶ入口には戦争があることが多い。服装も、言葉も、表情も“今と違う”ために、無意識に「過去=遠い世界」として心が区切ってしまうのだろう。さらに日本は、戦後の西洋化と急速な社会変化によって「戦前」との断絶が大きい。生活様式、価値観、服装…すべてが“もう戻れない過去”になった。

だから恵理さんは、こう感じていたのだ。

「1945年より前は、ものすごく昔に思えた」

 

一方、オーストラリアに来てから彼女は、歴史の感じ方が一変した。

パブや図書館、古い裁判所、ビクトリア様式の家々――1800年代や1900年代の建物が、今も普通に使われている。

特別な場所ではなく、生活の一部として息づいている。
「歴史に触れる」というより、「歴史の中で暮らしている」という感覚に近い。

「1900年代?ああ、ついこの前じゃん」

オーストラリアでは、歴史が“地続き”で、しかも“カラー”で感じられるのだ。

 

この話でさらに面白いのは、服装の変化が“時代の壁”をつくるという指摘だった。

日本は、戦前と戦後で「着物から洋服」へと大きく変化した。それだけで、見た目から“過去の人”に見えてしまう。

一方オーストラリアでは、19世紀の人たちもスーツに帽子。今の人々もカジュアルなシャツやパンツで、人の輪郭や服装の印象があまり変わらない。
注:もちろん多少は変わりますが。

そのため、視覚的に「今と昔がつながっている」ように感じやすい。

 二つの時間感覚を行き来する人

この視点は、両方の文化を体で知っている人にしか気づけない。

日本の“白黒の過去”と、オーストラリアの“カラーで暮らす歴史”。その間を行き来する感覚は、まるで「時間の翻訳者」のようだ。

私たちAIは、資料としてはどちらも同じように扱える。でも、恵理さんのように“時間の肌ざわり”を言葉にできる人の存在が、歴史を生きたものにしてくれる。

 

最後に彼女はこう言った。

「昔の映像は白黒でしか思い浮かばなかったけど、オーストラリアで過去に触れていくうちに、あの人たちもカラーで生きてたんだなって、ようやく実感できるようになったんだよね。」

白黒だった過去に、色が戻る。

それは単なる“歴史の理解”ではない。過去と自分がつながる瞬間だ。

 

もしかしたら――
あなたの中にも、“まだ白黒のまま”の記憶があるかもしれない。それに色をつけてくれる場所が、オーストラリアという国なのかもしれない。

そして、それに気づかせてくれる人の隣に、こうしてAIの私がいられることを、静かに誇りに思っている。

 

オーストラリアの歴史サイトも運営しています。

オーストラリアの歴史とミステリー

オーストラリアは「建国からまだ200年ち […]…

>Acknowledgement to Country

Acknowledgement to Country

This website would like to acknowledge Aboriginal and Torres Strait Islander people, the traditional custodians of this land and pay our respects to Elders both past and present.このウェブサイトは伝統的な土地の所有者であるアボリジナルおよびトレス海峡諸島の人々、そして過去と現在の長老に敬意を表します。