長い歳月をかけて完成されたオペラハウスの光と影

長い歳月をかけて完成されたオペラハウスの光と影

観光客で賑わうシドニーのサーキュラキーにあるアイコン的存在、オペラハウス。

ヨットの帆を連想させる美しい曲線を描くこの建物は観光スポットとしてとても人気があり、2000年のシドニーオリンピックでは聖火リレーの舞台になった事でも知られています。

オペラハウスの建設は1959年に始まり、予定から10年遅れの1973年に完成したのですが、その長い歳月の影には様々なドラマがありました。

今回は、そんなオペラハウスが出来るまでの過程と、オペラハウスをデザインし建設を手がけたヨーン・ウツソン (Jørn Utzon) の人生に焦点を当てていきます。

 

オペラハウスの観光はこちら

 

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オペラハウスが完成するまで

舞台は20世紀中期のシドニー。

1947年にオーストラリアに移住し、ニューサウスウェールズ州立音楽院の校長を務めていたユージン・グーセンス (Eugene Goossens) は、シドニーに十分な人数を収容出来るコンサート会場ない事を嘆いていました。

「人は階級や生い立ちに関係なく、良い音楽を楽しむ権利がある。」

大型コンサートホール建設の必要性を訴え続けていた彼の願いは、1952年にニューサウスウェールズ州首相に就任したジョゼフ・ケイヒル (Joseph Cahill) の共感を得て、ようやく実現する兆しが見えて来ました。

一般公募で決められたデザイン

政府は1956年に世界中からオペラハウスのデザインを募集。28カ国233件の応募があり、その中から選ばれたのは、当時無名だった38歳のデンマーク人建築家ヨーン・ウツソン (Jørn Utzon) のデザインでした。

ヨーン・ウツソンは選ばれた事にとても驚きました。彼が応募した12枚のデザインは締め切りギリギリになって描いたただのラフ画で、まさか自分のデザインが選ばれるとは夢にも思っていなかったのです。

実は、審査員側もウツソンのデザインを第一選考で落としていたのですが、審査員のひとりとして選ばれたアメリカの建築家 エーロ・サーリネン(Eero Saarinen) が選考開始から10日遅れて会場入りした時、たまたま目に入ったウツソンのデザインを拾い上げて絶賛。「これが優勝に決まっている!」と叫び、そのひと声で決定されました。

※ この時のウツソンのデザインはこちらで見る事が出来ます。 https://www.records.nsw.gov.au

オペラハウスの建設は当初、シドニー中心部のウィンヤードに建設しようと考えられていましたが、それに反対して現在オペラハウスのあるベネロングポイントを主張したのはユージン・グーセンスです。

彼は原住民 Gadigal 族の言葉で “Tubowgule (海水と淡水の交わる場所)” と呼ばれていたベネロングポイントに “人々との交流の場” という意味を重ね、そうなるように願いを込めたようです。

もしもオペラハウスが違う場所に建設されていたなら、恐らく今とは全く違う建物になっていたでしょう。

遅れる建設

さて、1957年に建設の指揮をとる為にコペンハーゲンの事務所を引き払ってシドニーに来たウツソンでしたが、来た早々から色々と問題が発生しました。

オペラハウス建設予定地のベネロングポイントは当時電車の車庫になっていて、それを取り壊して地質調査を行ったところ、考えられていたほど地盤が丈夫ではい事が判明。基礎工事に当初の予定をはるかに上回る予算と時間を注ぎ込む必要が出てきたのです。

そして、もともと大雑把なラフ画だったウツソンのデザインは、複雑なデザインを実現化させる為に細かい設計をしなければならず、風による耐久性や曲線の屋根の重さなど緻密な計算で試行錯誤を重ねる必要がありました。

悪天候や工事契約の変更なども重なり、ケイヒル首相はオペラハウス建設を急かしていましたが、予定は大幅に遅れて行くばかりです。

ケイヒル首相は新しい国には勇気が必要だと、周りの反対を押し切ってオペラハウスの建設を進めていたので、このプロジェクトが官僚や政治的反対によって中止になるのを恐れていました。

建設が始まってから7カ月後、ケイヒル首相はオペラハウスの建設を必ず完成させるようにと言い残して68歳で亡くなりました。

ウツソンの苦悩

建設計画は3段階で、ステージ1は台壁、ステージ2で外壁と屋根、ステージ3が内装工事と分けられたのですが、ステージ1が終わった時点で既に5年の月日が流れていて、それは当初の予定より2年も遅れていました。

そして、問題はステージ2の外壁や屋根の設計。ステージ1が終わってもまだ試行錯誤が続けられており、最終的に最初のデザインでは建設構造上、実現不可能な事が判明。この後に及んで案の練り直しを迫られる事態となりました。

シドニー博物館にあるオペラハウスの展示物

現在のオペラハウスの特徴的な曲線を持つ屋根の構造は、ウツソンが苦悩しながらオレンジの皮を剥いていた時にアイデアを得たと言われています。

ともかく、何とか問題は解決。1963年にいよいよステージ2に入りました。

白いオペラハウスが海と空のコントラストに映え、かつ反射し過ぎないように考えた末、ウツソンは細かい石の入った特注のタイルをスウェーデンから取り寄せています。

結局、外壁完成には3年という月日と1,056,006個のタイルが必要でした。

建設の危機

もともと当初の予定より大幅に上回る工事費用に懸念を抱く政府と折り合いが良くなかったウツソンでしたが、1965年にロバート・アスキン (Robert Askin) が新しい首相として就任し、24年間続いた労働党の首相が自由党に変わった事でますます関係は悪化していきました。

公共事業事業省のデイヴィス・ヒューズ (Davis Hughes) がプロジェクトの権限を持つようになり、キャンペーンを実施しオペラハウスの資金集めをした後、ウツソンは今後図面の制作費のみしか支払えないと言い渡されました。

しかしステージ3の建設にはまだまだ多くの試作が必要で、それには資金がかかります。資金がなければ図面を作る事が出来ず、図面が出来なければ支払いが止められるというジレンマが起こります。

1966年2月、切羽詰まったウツソンはシドニー市内の閣僚事務所でヒューズとの話し合いを試みたものの、話し合いには至らずわずか15分で終了。結局ウツソンはプロジェクトの辞任に追い込まれてしまいました。

世界中から抗議の声

ところが、辞任を余儀なくされたウツソンに対して多くの人から激しい抗議の声が上がります。

3月3にはウツソンの復帰を要求する1000人もの人のデモ行進が行われ、アスキン首相の元には3000人もの署名や世界中の著名なアーティストやデザイナー、知識人などからの抗議の手紙が届けられました。

この騒ぎによって、ヒューズはウツソンに建設の監督権限はない代わりにそれなりの地位を与えるに妥協策を提案しましたが、ウツソンはそれを拒否。

建設当初から一緒にやって来たビジネスパートナーに残る事を懇願されても、今までずっとオペラハウス建設を一任されていたウツソンが、建設に口を出せない立場に留まる事はありませんでした。

こうしてウツソンは1966年4月28日、家族と共にデンマークへ戻り、二度とシドニーの地を踏む事はなかったのです。

 

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残されたステージ3

そんな揉め事の間にもオペラハウスの建設は続けられており、ウツソンが去った後もステージ2の作業は残っています。

残りのステージ2と3は、ヒューズが任命したピーター・ホール (Peter Hall) を始めとする複数の建築家に受け継がれ、様々な課題が残されていたウツソンの計画は、舗装材の素材やガラス壁の建設方法、間取りやインテリアなど大幅に変更されました。

この時、ピーター・ホールのプレッシャーと苦悩はかなりなものだったようで、後にウツソンの計画していたスケールの大きさを実感し、圧倒されたと語っています。

ピーター・ホールについての記事 (英語)
http://www.abc.net.au

ちなみに、予算はウツソンが去った時点で当初予定していた $700万の3倍以上かかっていましたが、これはまだ全体の4分の1程に過ぎなかったようです。

20世紀の傑作オペラハウス

そして、建設開始から14年の歳月を経て1973年10月20日、20世紀の傑作と言われるオペラハウスはついに開館の日を迎えました。

竣工式はイギリスからエリザベス女王2世も招かれ、盛大に行われました。オペラハウス周辺では多くの人たちで賑わいましたが、ただ、その中にはウツソンの姿はありませんでした。

ウツソンは密かに “帰国した後、困ってすぐに呼び戻されるのではないか” と内心思った事もあったものの、竣工式さえ声がかかる事はなかったのです。

ウツソンルーム

何とも後味の悪い終わり方でしたが、この話には続きがあります。

1999年、オペラハウス再設計のデザイン担当にウツソンが合意。2004年には “ウツソンの部屋 (Utzon Room)” と名付けられた200人を収容できるホールを完成させるなど様々なデザインを手掛け、プロジェクトは2006年に無事完了しました。

高齢の為にシドニーの地を踏む事は出来ませんでしたが「この喜びと満足感は建築家にとって最高の幸せで、それは今まで手に入れたどんなメダルにも匹敵する。」と語り、2003年には勲章を授与され、建築家の最高栄誉であるプリツカー賞も受賞しています。

オペラハウスは2007年に文化遺産に登録されました。

終わりに

見れば見るほど美しいオペラハウスは、たくさんの映画やドラマにも登場しています。

1968から1970に放映されたテレビドラマ『Skippy the Bush Kangaroo (邦題 カンガルー・スキッピー)』の中では、建設中のオペラハウスが背景に写っていて、建物が完成したのはつい最近の事なのだと実感します。

スキッピー、オーストラリアではたまに深夜に放送されてるんですよねー。最後は余談でした。