オーストラリア領トレス海峡諸島と木曜島について

オーストラリア領トレス海峡諸島と木曜島について

トレス海峡諸島 (Torres Strait Islands) というオーストラリア領の諸島は、クイーンズランド州に所属していますが、トレス海峡自治政府によって独自の統治が行なわれ独自の文化が根付いている地域です。

司馬遼太郎の小説『木曜島の夜会』に出てくる木曜島 (Thursday Island) もこのトレス海峡諸島のひとつで、この小説で木曜島の存在を知った人も多いのではないでしょうか。

でも、トレス海峡ってどんな所なんだろう?木曜島ってどんな島?と思う人もいるのではないかと思うので、ちょっと調べてみました。

ちなみに私もケープヨークの手前止まりで、まだ行ったことがありません。

 

Advertisement

トレス海峡諸島って?

トレス海峡はオーストラリア大陸の最北端であるケープヨークとパプアニューギニアの間にあります。

諸島には274もの島が存在しますが、人が住んでいる島はそのうちの12〜17島ほど。人口は約4500人、主に2種類の固有言語が話されています。

最北端の島はパプアニューギニアからわずか4km、北西の島はインドネシアから73.5km しか離れていません。

グレートバリアリーフも近く、手付かずの自然が多く残るトレス海峡諸島には、珍しいサンゴ礁やジュゴン、ウミガメなどが生息しています。(でもクロコダイルもいるとか…。)

こちら↓のウェブサイトに観光やアクティビティが載っているので参考にすると良いかもしれません。
https://www.tropicalnorthqueensland.org

独自の統治と文化

島民はメラネシア (オーストラリアの北東方にある島々) 系の人々で、紀元前約6千年前にパプアニューギニアの方から渡って来たと言われています。文化もパプアニューギニアの沿岸に住む人たちの文化と似ている事から、オーストラリア本土に住むアボリジニとは区別されて考えられています。

19世紀後半にはナマコや真珠、貝などの採取が盛んに行われるようになり、多くの日本人もこの地へ出稼ぎに来ていましたが、第二次世界大戦勃発によって下火になりました。

そして近年、トレス海峡諸島はオーストラリアで初めて先住民権に基づいて先住民による統治が認められた地域としても知られています。

歴史

オーストラリア大陸を発見した西洋人としてキャプテン・クック が有名ですが、実はトレス海峡諸島はそれよりも160年以上前に発見されていたのです。

トレス海峡は、1606年にスペインの探検家の ルイス・バーエス・デ・トレース (Luís Vaz de Torres) がこの諸島を発見した事に由来して名付けられました。しかし、スペインもオランダも当時はこの地域に興味を惹かれなかったようで、素通りしています。

19世紀初頭にはインドやアジアに向かう貿易船がオーストラリア東海岸からトレス海峡を通って出ていましたが、島に停泊する船はほとんどありませんでした。

注目を浴び始めたのは1850年代になってからで、ヨーロッパの貿易船がトレス海峡やグレートバリアリーフの海にナマコや貝などの豊富な資源がある事を発見し、1870年代には島周辺の海域で真珠や貝の採取が盛んになって行きました。

明治時代から昭和初期にかけて多くの日本人もこの地に出稼ぎに来ていて、この時代が前述した『木曜島の夜会』の舞台です。

1879年にはイギリス政府によって、トレス海峡諸島もクイーンズランド植民地の一部として合併されています。

エディ・マボの活躍

そんなトレス海峡諸島が1922年から独自の統治を認められるようになった陰には、この諸島出身のエディ・コイキ・マボ (Eddie Koiki Mabo) という人物の存在がありました。彼は先住民の土地所有権利を主張し、オーストラリアの先住民に対する法律に大きな影響を与えています。

(出典: https://www.ramint.gov.auより)

2017年には彼の没後25年と、本土のアボリジニを含む先住民の人たちに選挙権が与えられてから50周年を記念して50セント記念コインが出ていますので、探したら見つかるかもしれません。

トレス海峡諸島の旗

トレス海峡諸島の旗は木曜島出身の Bernard Namok によってデザインされ、1995年7月14日に正式にオーストラリア政府に認められました。

緑は土地、黒が人々、そして青は海を意味し、中央の白い五芒星は5つの島のグループを、周りの白は ダリ (Dhari) という伝統的なダンスで使われる頭飾りを表していて、トレス海峡独特の文化を象徴しています。

 

関連記事

木曜島ってどんな島?

さて、ではトレス海峡諸島の政治や経済の中心になって来たという木曜島とはどんな島なのでしょう?

この島は別名ワイベン島 (Waiben) とも呼ばれ、木曜島という名前は1789年にバウンティ号の反乱 (Mutiny on the Bounty) でこの地に来たウィリアム・ブライ (William Bligh) が命名したと言われています。

島の人口は約2500人〜3000人で、面積は3.5 km² ほどの小さな島なので、車なら1時間もかからずに一周してしまえるほどの広さのようです。

諸島は5つのグループに分けられていて、木曜島はケープヨークに近いグループの島に所属します。

トレス海峡諸島に行くには、ケアンズから船や飛行機、またはツアーを利用。飛行機はホーン島に止まるので、フェリーで木曜島まで行きます。

※ 行き方については、以前ワーホリ時代にこの地域に住んでいたという人の詳しい記事がありましたので、そちらを参考にしてみてください。写真もたくさん掲載されているので、これから行きたいと思っている人にはとても参考になると思います。
木曜島 への行き方3つを紹介!アラフラ海にあるトレス海峡の魅力とは? – ウォンバット通信

写真を見る限りコバルトブルーの海がきれいですが、司馬遼太郎の小説を読むと “あれだけの体力と時間をつかってやってきた代償としては、美しさに欠けていた。” と書かれています。まあ、書かれたのが40年以上前で、その間にオーストラリア各地の様子はかなり変わっているとはいえ、木曜島はオーストラリア大陸から離れていますし、おそらく今も静かな場所ではあるのでしょう。

木曜島には1878年から1941年まで多くの日本人がこの地で真珠や貝の採取漁業に携わり、この地で亡くなった7000人余りの人々のお墓や慰霊塔が建っています。また、第二次世界大戦中に作られたオーストラリア最古の軍事施設の要塞跡 (Green Fort Hill) なども見る事が出来ます。

おわりに

木曜島については、かなり前にも調べた事があるのですが、宿泊代を多く見積もられたというエピソードを書いている記事を見つけて、興味はあるけど個人旅行するにはちょっと怖い所なのかな?という印象を持っていました。

でも今回調べていくうちにやはり興味がわいて来て、いつか現地に足を運んでみたい気がしています。

 

司馬遼太郎の小説『木曜島の夜会』についてはこちらです。