ニューサウスウェールズ州にあるカウラ(Cowra)という土地は、日本人ならぜひ知っておいて欲しいと思う場所です。
カウラといえば毎年9月に行われる盛大な桜まつりで知られていますが、最も有名なのは第二次世界大戦時に起こったカウラ捕虜収容所脱走事件 (Cowra Breakout) でしょう。この事件で多くの日本人捕虜が亡くなりました。
今でも毎年この土地では、日本人とオーストラリア人合同の慰霊祭が行われています。
場所はシドニーから330kmほど西にある内陸、車で約4時間くらいです。
Blue Mountainsの更に向こうなので、車ですと比較的簡単ですが、公共機関を利用すると電車やバスを乗り換えになるので、宿泊を考えた方が良いかもしれません。
カウラ日本庭園 (Cowra Japanese Garden)、カウラ収容所跡 (Cowra Prisoner of War Camp)、日本人墓地 (Japanese War Cemetery)、平和の鐘(World Peace Bell)などを見る事が出来ます。
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敵国同士だった日本とオーストラリア
第二次世界大戦中、日本とオーストラリアは敵国同士でした。
日本はオーストラリア本土を攻撃した唯一の国なのをご存知でしょうか。
オーストラリア人にとっては、日本軍がダーウィンなどを攻撃した事はあまりにも有名な話ですが、もしかしたらその事実さえ知らない日本人も多いかもしれません。
その第二次世界大戦中、このカウラには捕虜収容所があり、オーストラリア国内で28あった中のひとつでした。
そして、この収容所で1944年8月5日未明、500人以上の日本人捕虜が大脱走し、231人の日本人と4人のオーストラリア人が死亡、それに多くの負傷者が出るという悲惨な事件が起こります。
しかし事件当時、ここの捕虜たちは十分な食事を与えられ強制労働もなく、極めて人道的に扱われており、この無謀な集団自殺とも思える大脱走はオーストラリア側にとっては不思議な事件でした。
一方脱走したものの行く所がなく途方に暮れていた日本人に、一般のオーストラリア人が食事を与えかくまったというエピソードも残っています。
今日カウラは日本と強い繋がりを持ち、毎年日豪共同で戦没者慰霊式典が行われています。
敵国である日本人捕虜を手厚く葬り、オーストラリア人の戦死者と同じ墓地の敷地に埋葬されるという、世界中でもあまりない事例にオーストラリア人の懐の深さを感じます。
この日本人墓地は、オーストラリア政府の計らいで日本に譲渡され、日本政府の主権は及びませんが、日本国の土地という事になっています。
そして1979年、この事件の追悼の意を込めてオーストラリアで最大の日本庭園が造られました。
日本庭園から収容所までの道は “Sakura Avenue” と名付けられ、たくさんの桜が植えられて両国友好のシンボルとなっています。
一体何が起こったのか
2010年に、日本人会主催の日帰り戦没者慰霊バスツアーに参加した時に、バスの中でカウラ事件に関するドラマを観て、初めて事件のあらましを知る事が出来ました。
「生きて虜囚の辱めを受けず」日本兵はそう教えられていました。
捕虜として生きて恥を晒すくらいなら自害しろ、という価値観を日本人は植え付けられていたんです。
実際に捕虜だったという事実が分かると、日本にいる自分の家族まで非国民として非難され大変だったようです。
そういった理由から、ここで捕虜になったほとんどの人が、収容所では偽名を使っていたと言います。
そんな捕虜生活の中、ついにある計画が持ち上がります。
このまま捕虜として生きるくらいなら、脱走して死んだ方が良いのではないか、と。
この時ちぎったトイレットペーパーを使ってマルかバツかの投票を行い、ほとんどの人が脱走に賛成したと言われています。
これが後にカウラ事件と呼ばれる、捕虜の脱走としては世界最大の日本兵によるカウラ捕虜収容所脱走事件です。
中には喜んでオーストラリア兵に撃たれる日本人捕虜もいたそうです。
現在その日本人捕虜の眠っている墓地には、それぞれローマ字で名前が刻まれていますが、ほとんどの人が偽名を名乗っていた為、本名ではないそうです。何とも切なくなる話です…。
現在のカウラ
現在この事件が起こった場所は更地になって建物は残っていませんが、捕虜収容所跡として看板が建てられ、カウラに来る多くの人が訪れる場所となっています。
実は2010年に戦没者慰霊祭に参加した時、途中から大雨になりました。
傘をさしながらお坊さんがお教を読み、その後オーストラリア人の方が尺八を吹いていたのが印象的でした。
カウラはほとんど雨が降らない土地なんだそうですが、あれは浄化の雨だったのかもしれません。
平和の鐘もならしました。
4年後の2014年に再び訪れた時は、看板も増えて日本語の解説もありました。
そして、初めて行った日本庭園。
本当に大きくて立派でした。
ここが9月には桜で満開になるんですね。壮観でしょうね。
久々に日本に帰ったような気分でした。
カウラ事件に関する書籍や映像
鉄条網に掛かる毛布 – カウラ捕虜収容所脱走事件とその後 –
Steven Bullard 著 田村恵子訳
これは、豪日研究プロジェクト(AJRP)という所が発行している冊子のような本です。
捕虜収容所脱走事件の1944年8月5日より今日までの田舎町カウラと日本のユニークな関係の発展を遡っています。
『鉄条網に掛かる毛布』は、収容所脱走事件の62周年記念日である2006年8月5日にカウラにおいて、在オーストラリア日本国大使官の川真田一穂公使とオーストラリア戦争記念館のピーター・スタンレー歴史部長によって、出版が公式発表されました。
私はカウラ日本庭園の売店で購入しましたが、オーストラリア戦争記念館ブックショップやカウラ旅行者案内所などでも買えるそうですが、ウェブサイトからPDF ファイル形式でダウンロードすることもできます。
Australia – Japan Research Project ウェブサイト
カウラの突撃ラッパ – 零戦パイロットはなぜ死んだか –
中村不二雄 著 文春文庫
1991年に第1刷が発行され、日本ノンフィクション大賞を受賞しています。
私は昔、シドニーの紀伊国屋で買いましたが、絶版になった文庫本の限定復刻だったようです。
カウラの風
土屋康夫 著 KTC中央出版
この本は持っていないんですが、すごくタイトルに聞き覚えがあります。
多分、紀伊国屋で見たのかも…。
カウラ事件についての真相を、関係者たちに取材してまとめたノンフィクションだそうです。
学生が聞いた カウラ捕虜収容所日本兵脱走事件 (いのちをみつめる叢書)
広島経済大学岡本ゼミナール ノンブル社(e託)
何冊か本が出てるんですね。
学生繋がりですが、私はこのYoutubeも面白いと思いました。
あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった – カウラ捕虜収容所からの大脱走 –(DVD)
制作著作 日本テレビ
演出 大谷太郎
脚本 中園ミホ
プロデューサー 次屋尚、内山雅博
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かったより
オーストラリアは観光業が盛んで、キレイな海やアクティビティなどのイメージが強いかもしれませんが、こういう違った角度から見ると、また印象が変わるかもしれませんね。