シドニーには、有名だった大きなデパートがいくつかありました。
『マーク・フォイズ (Mark Foys)』もそのひとつで、1908年~1980年にデパートだったその建物の一部は現在もそのまま残っていて、『Downing Centre』として地方裁判所に使われています。
2018年公開映画『Ladies in Black』にもデパートとして登場するカラフルでレトロな建物の壁には、シューズやらレースやらコルセットやらと書かれたままです。
近代的な高いビルに囲まれているので遠くからは見付けにくいかもしれませんが、目立つので一度見たら印象に残るのではないでしょうか。
この記事を読んだ後は、ミュージアム駅と繋がっている地下通路を通ると、タイムスリップしたような不思議な気分になるかもしれませんよ!
シドニーの有名デパートだったマーク・フォイズ
現在はニューサウスウェルズ州遺産登録のリストにも入っているマーク・フォイズの建物。
3つのストリートに面している大きな建物なので、すぐに見つけられると思います。
- リバプールストリート (Liverpool Street)
- エリザベスストリート (Elizabeth Street)
- キャッスルレーストリート (Castlereagh Street)
リバプールストリートとエリザベスストリートの交差点から
マーク・フォイズは、フランシス・フォイ (Francis Foy) と弟のマーク・フォイ (Mark Foy) が設立したデパートで、名前は父マーク・フォイ (Mark Foy) にちなんで付けられています。
この建物はザ・ピアッツァ (The Piazza) とも呼ばれ、建築家 Arthur McCredie と Arthur Anderson がパリのボン・マルシェ百貨店を参考にしてデザインして建てたものです。
シャンデリアや大理石の床、そしてオーストラリア初のエレベーターを導入したデパートは華やかで、ファッショナブルなショーウィンドウのディスプレイは話題を呼び、シドニーの注目の的でした。
現在ニュースの撮影やダンスの練習してるのをよく見掛ける場所
当時は眼鏡店、花屋、食料、宝石、薬局、女性用読書室、電話局、郵便ポスト、レストランなど様々な売り場や設備があったようです。
1900年代初頭、マーク・フォイズはどんどん店舗や工場を増やし、拡大していきました。
最初は地下を含む3階建てでしたが、1927年から1930年にかけて建築家 H.E. Ross & Rowe によって元の外観を損なわないように大規模な改装が行われ、8階建てになっています。
キャッスルレーストリート側には ミュージアム駅と繋がっている通路もあり、1926年にオーストラリア初の地下鉄道として開通したこともかなりの恩恵を受けています。
ですが、これは偶然ではなく、建設時から狙って設計をしていたようです。
ミュージアム駅につながる通路にも面影が!
通路は現在でも使用されていて、ここから駅のプラットフォームまで行けます。
ちなみに通路が開いているのは平日午前6時から午後8時までです。それ以外の時間帯は柵が降りて入れなくなりますので、中を見たい人は時間に気をつけてください。
かなり年季が入っているのが分かる通路を入ってみると、マーク・フォイズと書かれた看板や、かつてお店の入り口だったと思われるドアなどがあります。
何となく、今でもガラスのドアの向こうはお店があるんじゃないか?と思ってしまうような雰囲気があり、私個人としてはここがいちばん生々しく当時の様子を感じる場所です。
そしてミュージアム駅の入り口に。ここから改札口や他のストリートに出れます。
改札口をくぐってプラットホームに出ると、オーストラリアのレトロな広告がたくさん飾れているのですが、ここにもマーク・フォイズの名前がちらほらあるんです!
ミュージアム駅の記事は別に書いているので、こっちはこっちで探索してみると面白いかもしれませんね!
シドニー中心部のハイドパーク南端に “ミュージアムステーション (Museum railway station)” という駅があります。普段から日常的に利用している、なんて事はない小さくて古い駅なのですが、実は1926年に開通したオ[…]
そして実は、エリザベスストリートを挟んで向かい側にもマーク・フォイズの建物があったんです。
ということで、今度はそちらも見ていきましょう。
向かい側にもあったマーク・フォイズの建物
ダウニングセンターの向かい側
現在エリザベスストリートには古そうな建物も多少残ってはいるものの、マーク・フォイズの建物は残ってません。
でも、マーク・フォイズを含むこの場所の歴史について書かれたパネルが展示されています。
パネルがあるのは白いビルの入り口です。
※ 写真上の白く高いビルとダウニングセンターの間がエリザベスストリートになります。
以前は1991年に建てられた16階建てのビルがあったのですが、2016年に新しく38階建てのビルに建て直され、その時にパネルも設置されました。
右側が現在残っているまだ3階建てだった頃の現在ダウニングセンターになっている建物で、左側が昔向かい側にあった建物です。
こちら側は、1913年 (1914年) に家具とカーペット売り場として建てられた5階建の建物だったそう。
この建物が建設された1年後には、近くに4階建ての金物屋 (ironmongery and hardware) も建設されました。
しかし、次第に自家用車を使用する人が増加したため、1938年にその建物は駐車場になってしまったようです。(近くに立体駐車場はありますが、それがその店だったのかは確認出来てません)
1920年にはゴールバンストリート (Goulburn Street) に編み物工場や量り売り店、1921年にはローズベリーの Harcourt Avenue に衣類生地を製造する工場 Target Woollen Mill を設立し、ビジネスはどんどん拡大して行きました。
マーク・フォイズの工場だった建物
サリーヒルズのゴールバンストリートにマーク・フォイズという名前の入った建物があるので、おそらくここが工場だった建物ではないかと重されます。現在はアパートやテナントショップなどが入っていますが。
調べてもこの建物の情報はあまり出てきません。ですが、facebook によると1920年から1921年にかけて建設されたと書かれているので、時期的にも一致します。
こういったブラウンストーンを使った建物はフェデレーションと呼ばれ、1890年頃から1915年頃まで流行したオーストラリアの建築様式なんだとか。フェデレーションというのは、1901年にオーストラリアが植民地から連邦国になったことにちなんでるそうです。
ちなみに、その隣にある建物も歴史的な雰囲気を醸し出していて良い感じです。こちらままたいずれ。
さて、これだけ大きなデパートだったのですが、時代の流れには逆らえなかったようですね。
衰退していくマーク・フォイズ
冒頭でマーク・フォイズというデパートは、フォイ兄弟の父にちなんだ名前と書きましたが、父親のマーク・フォイも起業家でした。
アイルランド移民で、オーストラリア初期の巨大デパートチェーンのひとつと言われた Foy & Gibson の創始者だったんです。(現在はもう存在しません)
Foy & Gibson の創始者マーク・フォイ
父マーク・フォイは、最初ビクトリア州の鉱山で有名な町ベンディゴで1868年に布地を売る商売を始めましたが、町が小さ過ぎて店舗が拡大出来ないと感じてメルボルン郊外のコリンウッドに移ります。(建物だけは今も残っています)
そのコリンウッドの店を後にシドニーのマーク・フォイズデパートの創始者のひとりとなる長男のフランシス・フォイに譲り、ウイリアム・ギブソン (William Gibson) もビジネスに参入。こうして Foy & Gibson という有名デパートが誕生しました。
しかし父マーク・フォイ死後、フランシス・フォイはパートナーシップを解消してシドニーに移ります。
シドニーのオックスフォードストリートに小売店をオープン
現在のオックスフォードストリート
1884年、フォイがシドニーで立ち上げた最初のマーク・フォイズは、現在も残る『ザ・ピアッツァ』の位置から少し離れたオックスフォードストリートにありました。
このお店は労働者階級の人たちに支持され、創業からわずか2年ほどで更に事業は拡大。
マーク・フォイズは布地を売る店から、衣料やアクセサリー、様々な家庭用品を売るデパートに成長していき、年2回のマーク・フォイズフェアという売り出しも有名でした。
そして1908年、エリザベスストリートに『ザ・ピアッツァ』というエスカレーターなどの最新設備を備える当時のシドニーとしては最も大きなデパートをオープンさせるに至ったのです。
その後も店舗は改装・増築を繰り返しながら大きくなっていきます。
そんなマーク・フォイズですが、1960年代に入ってから陰りが見え始めました。
衰退していくビジネス
第二次世界大戦が終わり徐々に景気は回復。しかし、1954年~1955年には今までで最高の利益を上げたものの、1960年代初に入ると売り上げは落ちていきました。
戦後は人々の買い物パターンが変わり、客層や生活様式の変化に伴い、従来あった多くのビジネスが苦戦したようです。
シドニーは商業の中心が現在のピットストリートモール辺りにずれていき、シティのパークストリートから南側にある店は客足減少により多くの店舗が閉店に追い込まれました。
マーク・フォイズの工場は売却され、店舗スペースは人に貸し出されるように。何とか財政を立て直そうとシドニー郊外 (ロックデール、イーストウッド、ノースブリッジ、ダブルベイ、バンクスタウン、バーウッド) に小売店も出しています。
パークストリートの北側にあるキングストリートにも新しい店舗も出しましたが、それは1930年代の大恐慌以来の赤字を出し失敗。最終的には1968年にマクダウェルズ (McDowells 1889〜) というデパートに買収されました。が、このマクダウェルズも1972年にウォルトン (Waltons 1951年〜1980年) というデパートに買収され、これらのデパートは現在は残っていません。
1880年に閉鎖されたザ・ピアッツァの建物は、1982年に Grace Bros が引き継ぎ『Grace Brothers Piazza』と呼ばれましたが、1983年に撤退。
『ダウニングセンター (Downing Centre)』という名前になり、現在のような地方裁判所となったのは1991年です。ということは、ダウニングセンターになった年に、向かい側の建物も壊されたんですね。
時代の流れとは言え少し寂しい気がしますが、仕方ないですよね。
息子マーク・フォイが設立したホテルとヨットクラブ
こちらは息子のマーク・フォイの話ですが、彼は1891年にボートセーリングクラブ『Sydney Flying Squadron』をキリビリに設立し、現在シドニーで最も古いと言われています。
そして1904年にブルーマウンテンズに『Majestic Hotel』をオープン。
これらはどちらも2023年現在も稼働しています。
おわりに
古い建物が多く残されているシドニーですが、マーク・フォイズだけではなくシドニーやオーストラリアには消えてしまった大きなデパートが複数あり、壊された建物もたくさんあったことを考えると、20世紀初頭のシドニーは本当に全く違う町並みだったのでしょうね。
どんな感じだったのか、いつかバーチャルででも見れたら楽しいかもしれませんが、とりあえず今は残された建物からイメージを膨らませるしかないようです。
(記事を書くにあたって参考にした資料: Mark Foyʼs | Sydney Living Museums / Mark Foy’s – The Dictionary of Sydney / Mark Foy’s | City of Sydney Archives / Mark Foys – Academic Dictionaries and Encyclopedias / Former Foy & Gibson Factory Buildings)