シドニー中心部から南東へ約14kmのところにあるリトルベイ (Little Bay) は、シュノーケリングでも人気のある美しいビーチが有名です。
ですが、このエリアに西洋人が多く住むようになったきっかけは、19世紀にシドニーで天然痘が流行った時に、罹患した人を隔離・治療するために建設された病院でした。地理的にシドニー中心部から遠過ぎない距離にあり、西洋人居住地から離れていたので、感染症治療には理想的な場所とされたのです。
現在はアパートや飲食店などがある『プリンスヘンリー病院跡地 (Prince Henry Hospital Site)』として再開発されていますが、病院の面影も多く残っています。
ビーチに行く際に通り抜ける場所でもあるので、歴史を知っておくと面白いかもしれません。
ということで、この記事ではニューサウスウェルズ州の遺産に登録もされている病院跡地に関するものを調べてみました。
現地に溶け込むプリンスヘンリー病院跡地
プリンスヘンリー病院跡地 (Prince Henry Hospital Site) があるのは、パインアベニュー (Pine Avenue) です。大通りのアンザックパレードからでも茶色の建物が目立つので、すぐに分かります。
この建物が病院として設立されたのは1881年。ニューサウスウェルズ植民地政府によって設立されたオーストラリア初の公立病院でした。 (病院自体はラム病院の方が先)
1881年〜1882年にシドニーで大流行した天然痘 (smallpox) で罹患した人たちを隔離するために、最初はビーチにテントを張って対応していましたが、すぐに病院の建設が始まっています。
当初「コースト病院 (Coast Hospital)」と呼ばれた病院は、1900年にシドニーでペストが流行した時や、1919年に第一次世界大戦でヨーロッパから帰還した兵士がスペイン風邪を持ち帰った時なども、この病院は重要な役割を果たしました。
この病院は、1934年にヘンリー王子 (グロスター公爵) の訪問を記念して「プリンスヘンリー病院 (Prince Henry Hospital)」と改名され、医師や看護師のトレーニングも兼ねた感染症研究センターになっています。
1988年にニューサウスウェルズ州政府は、この病院とランドウィックのプリンス オブ ウェールズ (Prince of Wales Hospital) を統合する決定をし、2001年に移動。2003年までに完全に閉鎖されました。
その後、州政府とランドウィックカウンシルは、アボリジナルサイトを含む歴史的遺産の保護に努め、現在でも敷地内には当時の建物が19棟ほど残っています。
プリンスヘンリー病院跡地を歩く
こちらがパインストリートの入り口、「エントランスゲートハウス」と呼ばれている建物で、現在はスーパーマーケット (Foodworks) やカフェなどが入るアパートになっています。
美しいビーチや海が見渡せるゴルフ場などがあるリトルベイ (Lillie Bay) は、シドニー中心部から南西に約14km。都会の喧騒から離れて休日を過ごすには良い場所です。小さい町なので、飲食店は全部で6軒、スーパーマーケットは1軒[…]
病院の面影はあちこちに残っていて、エントランスゲートの柱 (Entrance Gate Posts) もそのひとつです。
今も残るエントランスゲートの柱
掲示板のようなものがあったので何だろうと思って見てみたら、
リトルベイの地図でした。
これでこの町の規模感が分かると思いますが、とても小さいです。(右には病院跡地に関する場所が書かれていますが、番号が付いているのに、地図には載っていませんね)
昔はきっと病院の案内が書かれていたんじゃないでしょうか。
では、さらに進んで行きます!
ウィッシング・ベル (ウェル)
次に目をひいたのが、こちら。
「昔使われていた井戸かな⁉︎」と思って近づいてみたら、全然違いました。
このモニュメントは Wishing Bell (願いの鐘) だそうです。ウェブサイトには Wishing Well (願いの井戸) と書かれているんですけどね。
うーん、ベル?よく見ると鐘を吊るすような金具がついているように見えるので、以前はここにベルが下がっていたんでしょうか??
このモニュメントは、コースト病院にあった時計塔の上にあったもので、かつて病院入り口の目印に使われていた石で台を作り、ベルを乗せたと。
その時計塔は1930年代に時計塔が壊されてしまいましたが、時計は1953年まで病院で保管され、1981年に新しい塔に再び設置されました。
新しい時計塔は現在もそのまま建っていて、願いの鐘の道路を挟んで向かい側にあります。
オーストラリアン空軍記念時計塔
こちらが1981年の病院創立100周年記念に建てらた時計塔、オーストラリアン空軍記念時計塔 (RAAF Memorial Clock Tower) です。
銅製の屋根と風向計がついた四角い3階建ての塔は、第二次世界大戦で戦死したオーストラリア空軍将校だった Norman F Dwyer と、その従兄弟 Stanley G Stilling を追悼するために建てられたもので、ノーマンはかつて病院を管理していた Mr W Dwyer の息子でした。
時計はもともと1879年に開催されたシドニー国際博覧会 (Sydney International Exhibition) のためにドイツのブレナムで製造され、オーストラリアに持ち込まれたものです。
博覧会のために建てられた Garden Palace は1882年に火災により全焼してしまいましたが、時計は無傷だったため、シドニーロイヤルボタニックガーデンやその他の地域でしばらく使用された後、最終的にコースト病院に置かれることになりました。
当時の時計塔は、Henry Tucker Jones によって1898年に建てられた木とトタンで作られたもので、取り壊されるまで病院の忙しい時を知らせる音を奏でていたとか。肉の保管庫としても機能していた、風変わりなものだったそうです。
Water Tower
さらに東にあるウォータータワー (Water Tower) は、1916年に Flowers Wards と呼ばれる病院の建物に水を供給するために建てられたもの。(Flowers Wards は1914年〜1915年まで保健大臣を務めた Fred Flowers に由来しています)
それから、先ほど紹介した時計塔の横には、プリンスヘンリー病院に関する博物館も。
プリンスヘンリー病院看護医療博物館
2003年にオープンしたプリンスヘンリー病院看護医療博物館 (Prince Henry Hospital Nursing and Medical Museum) は、Flowers Ward One と呼ばれる病棟だった建物の中にあります。
展示されているのは、1881年から2003年までプリンスヘンリー病院で使用されていた器具や、病院に関わった何百人もの医師や看護師、患者などに関する資料、記念品など。
現在の開館時間は、火曜日の10am-2pm と日曜日の10am-3am のみのようなので、詳しくはウェブサイトを確認してください。
2 Brodie Ave, Little Bay, NSW 2036
https://princehenryhospitalmuseum.org/
ヨガやピラティスをやってる建物も
ビーチに向かってさらに東へ進むと、コースト病院記念公園もあります。
コースト病院記念公園
緑の芝生が色がる広い丘にポツンと見える、コースト病院記念公園 (Coast Hospital Memorial Park)。後に見えるのは海ですが、水平線ってこんなに高く見えるものだんだなーと思いました。
この公園の近くに病院跡地についての地図だったらしい看板を見付けました。でも日に焼けてしまってほとんど読めなかったので残念。
公園を通り過ぎて海が近づいてくると、プリンスヘンリーセンターと、三角形が印象的なチャペルが見えてきます。これもプリンスヘンリー病院に関係する建物です。
コーストチャペル
このビーチ入り口の目印とも言える海を見下ろせるコーストチャペル (Coast Chapel) は、プリンスヘンリーセンターの一部として結婚式や葬儀などの会場にも使われていますが、インタディナミネイショナル戦争記念礼拝堂 (Interdenominational War Memorial Chapel) と呼ばれることもあります。
戦争中に奉仕し犠牲になった看護師に捧げる戦争記念館として、プリンスヘンリー病院でトレーニングを受けた看護師協会とその友人たちによって1967年に建設されました。
私は確認してないのですが、チャペルの外には看護師たちに捧げられた銘板があるようです。
このチャペルの向こうがビーチなのですが、ビーチにも病院時代の面影があるんです。
ビーチの岩場にあるロックプール
ビーチ南側の岩場にあるロックプール (もしくはリトルベイバス) は、1900年代に看護師がサメから守られ、安全に遊べるようにつくられたものです。
ビーチを紹介する記事でも書きましたが、20世紀初頭のリトルベイは公共交通機関が通っていなくて不便だったので、常駐している看護師たちは海水浴や日光浴が大切な娯楽だったといいます。(その後、テニスコートや映画を観る場所などが作られたようですが)
シドニーにはビーチがたくさんありますが、『リトルベイビーチ (Little Bay Beach)』 は、名前の通り小さくて静かなビーチです。岩に囲まれているため、波から守られた穏やかなビーチで、海水浴やシュノーケリングにも最適ですし[…]
マッカートニー・オーバル
アンザックパレードの近くにあるマッカートニー・オバール (Macartney Oval) は、かつて病院のクリケットグラウンドだった場所で、救助ヘリコプターはここに着陸し、救助された患者はここから病院へ搬送されていました。
このグラウンドは、オーストラリア史上で最も優れた右打者である伝説のクリケット選手、チャーリー・マッカートニー (Charlie Macartney 1886-1958) に由来しています。
彼は1920年〜1927年までオーストラリア代表として活躍した後、1940年後半から1958年に勤務中に心臓発作で亡くなる72歳までプリンスヘンリー病院の館長として働いていました。
さて、最後に病院時代のランドマークとして挙げられるのは、現在の国立公園に残されている墓地です。
コースト墓地
リトルベイの南に位置するコースト墓地 (Coast Cemetery) は、オーストラリア最古と言われています。
1881年の病院建設に伴い、天然痘の犠牲者を埋葬するためにつくられたものです。
病院の目的が感染症に罹った人たちを隔離するためだったので、埋葬されている人たちは必ずしもこの地域出身者ではなく、ペストや腸チフス、ハンセン病などが流行した1900年代までに亡くなった2500人以上の人が埋葬されています。
この墓地は、現在リトルベイのゴルフ場が隣接するカメイ・ボタニーベイ国立公園の中です。
ここへ行くには
墓地は、リトルベイの① ジェニファーストリート・ボードウォークから② ケープ・バンクスロードへ出て、③ セメタリーマネージメント・トレイルを歩くとあります。
実際に歩いてみて、あまり観光する場所でもないのでじっくり見なかったせいかもしれませんが、思ったよりも少ししかお墓がないので不思議に思いました。
ですが、このエリアは植物保護地域のために多くのお墓が草の下にあるという話も…。
ちなみに、このトレイルはゴルフ場がゴールなので、着いたら来た道を戻るしかないのですが、そんなに長くない眺めの良い美しいウォーキングトレイルですよ。
さて、これでだいたい終わりですが、どんな病院にも怖い話はつきものと言いますし、お墓まで出て来たので「ここってもしかして心霊スポットなんじゃ?」と思った人もいるのではないでしょうか。
はい、調べてみたらプリンスヘンリー病院にもその手の話はありました。
グレーシーの幽霊が出る?
プリンスヘンリー病院で特に有名な幽霊は、1940年代後半〜1950年代にかけてこの病院で働いていたグレイシー、もしくはグレース・アンドリュース (Grace Andrews) という看護師だそうです。
もうやっていないと思いますが、2015年頃に博物館でトワイライトツアーと称してゴーストツアーが開催されていたようですよ。
この話はオーストラリアのゴーストハンターという Anne と Renata がエピソード28でツアーに参加した時のことを話しているので、もちろん英語にはなりますが、興味があれば聴いてみると面白いかもしれません。歴史についても、もっと詳しく説明されてますよ。
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The Spirits of The Prince Henry Hospital – True Hauntings より
本題が始まるのは7分45秒くらいからです。
おわりに
「リトルベイにはビーチとゴルフ場くらいしかないから、すぐに記事にまとめられるだろう」と思っていた私でしたが、全くそんなことはなく、かなり濃厚な歴史がありました。
こういう視点で見るシドニーも、興味深いものです。
古い病院の建物はちょっと怖い気もしますが、実際人がたくさん住んでいるわけですし、ビーチは本当にきれいで癒されますよ。
リトルベイについて、もっと詳しく知りたい人は、まとめ記事もどうぞ!
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