砂糖のたっぷり入った甘いふわふわのメレンゲケーキ、パブロバ (Pavlova) は、オーストラリアとニュージーランドの伝統的なスイーツとして知られています。
しっかり卵の白身を泡立てて焼いたパブロバの上には、クリームやベリー系のフルーツが乗せられていて、外はサクサク、中はしっとり。
クセになる食感なので、ぜひ一度は食べて欲しいスイーツです。
パブロバはどこで買える?
パブロバは、オーストラリアのカフェやベーカリー、フェスティバルの出店などでよく売られています。
お店によって若干見た目やトッピングは変わりますが、基本的に上にベリー系がが飾られる事が多いです。甘いパブロバには甘酸っぱいフルーツがよく合うんですよね。
でも、もしかしたら日本人だと甘過ぎると思う人がいるかもしれません。というか、そもそもオーストラリアのツイーツ全般がちょっと甘過ぎるんですよね。
スーパーマーケットでも買える!
そんなオーストラリアのスーパーマーケットでは、パブロバを自宅で作れるようなセットも売られています。
ベーカリーコーナーにはパブロバの土台が売られているので、自分でトッピングするだけで簡単にパブロバが出来上がりますし、 “パブロバマジック” というパブロバを作るパッケージセットはお土産にも良さそうです。
でも実は、コツさえ分かれば自宅でも簡単に作れるので、興味があれば日本でも作ってみてください。
パブロバの名前の由来はロシアのバレリーナ
(Anna Pavlova in the Fokine/Saint-Saëns The Dying Swan, Saint Petersburg, 1905 https://en.m.wikipedia.org)
“パブロバ” という名前の由来は、20世紀初頭のロシアを代表するバレリーナ、アンナ・パブロバ (Anna Pavlova 1881-1931) が由来しています。
彼女が1926年にオーストラリアとニュージーランドにツアーで来た時、両国で彼女にちなんだパブロバというデザートが作られました。
ただ、そういう記録は残っているのですが、現在のパブロバがいつ誰によって発案されたのかは定かではありません。
ちなみに、アンナ・パブロバは現在も語り継がれる伝説のバレリーナです。特に彼女の代表作『瀕死の白鳥 (Dying Swan)』は最も有名で、あまりの完成度の高さから彼女の死後20年は誰も踊りたがらなかったと言います。
パブロバの発祥国はどこ⁉︎
さて、そんなオーストラリアで大人気のパブロバですが、実はオーストラリアとニュージーランドの間で長い間どちらの発祥のお菓子なのかが議論されています。私も実際「これはうちの国のお菓子だ!」と主張している人たちを何度か目にした事があり、オーストラリア人もニュージーランド人も譲りたくないようです。
では、パブロバというお菓子は一体いつ、誰が考案したのでしょう?
最初の記録は、1926年に Davis Gelatine社がカナダやイギリスなどのレシピなど各国のお菓子を集めた本 “Davis Dainty Dishes” の第5版に載っているレシピだそうです。
ただ、これはオーストラリアが出したレシピなのか、それともニュージーランドのレシピなのかちょっと分からないのですが、どちらにしてもこのレシピはオレンジジュース・ミルク・グリーンコーディアルをゼラチンで固めた3色ゼリーなので、現在のパブロバとは関係なさそうです。
ニュージーランドの主張
ニュージーランドの伝統料理を研究しているニュージーランドオタゴ大学の Helen Leach によると、もともとあったニュージーランドの家庭料理がパブロバの原型ではないかと述べています。『The Pavlova Story: A Slice of New Zealand’s Culinary History』という著書の中で、ニュージーランドの料理本に少なくとも19のパブロバのレシピを見つける事が出来ると言うのです。
しかし、オーストラリアの主張も負けていません。
オーストラリアの主張
オーストラリアでは、1935年に西オーストラリア州パースの Esplanade Hotel のシェフ、Bert Sachse が現在のパブロバのレシピを作ったと信じている人が多いです。
1935年と書かれているのは記述ミスで、本当はもっと早かったのではないかと言い出す人までいるようですが、それはちょっとこじ付け過ぎでは?という気もしますね。
おそらく、この論争は永遠に続くのではないでしょうか。
おわりに
まあ色々と論争もありますが、それだけオーストラリアにとってもニュージーランドにとっても昔から親しまれている伝統的なお菓子なので、愛着のあるのは間違いないですね!