かつて日本人は外に出ない方が良いと言われいたアンザックデー

かつて日本人は外に出ない方が良いと言われいたアンザックデー

オーストラリア目指してアルバイトしていた20代の頃、カフェのオーナーから

 

オーストラリアと言えば、オレの友達がパブで飲んでたら、オーストラリア人に日本人だと知られた途端 「こいつ日本人だぞ!」と言われて頭からビールかけられたらしいよ。まあ10年くらい前の話だから今はどうなのか知らんけど。

と言われました。

この話を聞いたのが今から10年以上前の話なので、20年以上前の出来事という事になりますが、その頃読んでいたワーキングホリデー関係の本にも “アンザックデーの日に日本人が外に出ると、生卵を投げられるかもしれない” と書いていたので、ちょっとびびってしまいました。(まだスマホがない時代)

まったく、まだオーストラリアに行ってもいないのに脅かされたものですね。

それからオーストラリアに住んで10年以上経ちましたが、ワーホリで来る人たちはアンザックデー自体を知らない人も多いようで、よく「何の日?」と聞かれます。

だから私は「戦争記念日みたいなもの」と答えているのですが、日本人がアンザックデーを知らなくても平気な時代になったなんて、平和になったものだなあなんて思っています。

 

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アンザックデーとは

毎年4月25日はアンザックデー(Anzac Day) という祝日で、オーストラリアとニュージーランドでは重要な日です。

アンザックとは、Australian and New Zealand Army Corpsの事で、戦争に参加したオーストラリア・ニュージーランドの軍団をアンザック軍と呼びました。

そして1915年4月25日は第一次世界大戦でアンザック軍が当時オスマン帝国と呼ばれていたトルコのガリポリ半島へ上陸した日で、戦後に戦没者を追悼する日として定められました。

この日は現在、ガリポリ半島上陸作戦で命を落としたアンザック軍だけではなく、他の戦争やその時に活躍した看護師など、戦争に関わった全ての人たちを追悼する日です。

2015年はちょうど100周年にあたり、アンザックデー記念コインも発行されています。

なぜ日本人は生卵を投げられる?

このアンザックデーは、少し前まで日本人は外に出ない方が良いと言われていました。

というのも、日本はオーストラリア本土を爆撃した唯一の国として戦争で肉親を失った人たちなどから反感を買っていたからです。

日本軍は第二次世界大戦中に2年間にわたってオーストラリアを攻撃しましたが、特にオーストラリア人にとってトラウマ的存在になっているのが1942年2月19日のダーウィンの空爆。これによって民間人を含む251名のオーストラリア人が亡くなりました。

アンザックデーの時期になるとテレビなどでもよく戦争の番組が放送されるので、日本人はちょっと気まずい日ではあります。

ただ、現在はもう関係者は高齢になって来て時代が変わって来たせいか、アンザックデーで日本人が特別何か危害にあった話はほぼ聞きません。

たまに今でも普通の日に日本人が卵を投げられたという話を聞かなくはないですが、それは戦争は関係ないと思います。

実際はどうだったのか

オーストラリアにワーキングホリデーで来て1年目だった2007年のアンザックデーは、ゴールドコーストにいました。

アンザックデーの日、時々ヘルプをしていた日本食レストランから呼ばれたので、内心びびりながら恐る恐る外に出たのですが…。

特に変わった事は何もありませんでした。

韓国人のシェアメイトは退役軍人たちのマーチの様子を写真にたくさん収めて私に見せてくれたのですが「そういう観光的な気分でも大丈夫なんだ⁉︎」と。びびり過ぎですね(笑)

2年目のアンザックデーはシドニーで、その頃今のオーストラリア人パートナーと出会ったばかりで、一緒に出掛けました。

うちのパートナーは日本人に好意的な人でしたし、もし何かあってもオーストラリア人と一緒だったら何とかなるか、と。本当にびびってました。

でも結果は…

別に普通でした。

シドニーの町はものすごい人で混雑していてアジア人もたくさんいましたし、日本人らしき人たちも普通に歩いていたので、これだけいれば攻撃されても私ひとりに集中する事はないだろうと。 (しつこい)

まあ実際はそんなそぶりを見せる人はひとりもいなかくて、というよりも気にもとめられなかったです。

基本的なスケジュール

アンザックデーの1日の流れは、大体どこも同じです。

早朝4時: ドーンサービス(Dawn Service)
当時ガリポリ半島に上陸した時間に合わせて祈りを捧げます。午前9時頃: 退役軍人やその身内の人たちによるマーチ(行進)
マーチに参加する人は実際に戦争に参加した退役軍人の人もいますが、参加出来ない人の代わりに身内の人が出たりもします。12時半頃: 行進の最終地点に到着。式典

午後17時: サンセットサービス(Sunset Service)

これらの様子はテレビでも中継されます。

シドニーのハイドパーク南側にはAnzac War Memorial という建物があり、これは1915年のガリポリ上陸1周年を記念して1934年にオープンした記念館で、シドニーはいつもはここでも式典があります。

行進している人の中には車椅子やトラックの荷台に乗って行進に加わっている人もいて、軍服を着た人や胸に勲章を付けて行進する人たちは、時折笑顔もちらほら。

ブラスバンドやスコットランドの伝統楽器バグパイプでの行進も。

行進を見ていて気付くのは、胸元にポピーの花が飾ってある事。

アンザックデーが近づくと、街角でこのポピーのバッジが売られているのをよく目にするようになりますが、これは戦没者追悼の象徴です。

 

ポピーについてはこちらをどうぞ

オーストラリア人はどう思ってるのか

実際、オーストラリア人に反日感情はあるのか?

世の中には絶対に死んでも日本の製品は使わない!というくらい憎んでいる人も存在するらしいですが、私は面と向かって反感を表された事は今のところありません(おバカさんは別)。 私の周りはむしろ日本に親しみを持ってくれている人の方が多いです。

数年前に亡くなった私のパートナーのおじいさんは、かつて日本軍と戦った人なのですが、パートナーによると、彼の娘も当時敵国だったドイツ人と結婚しているので、孫が日本人 (私) と付き合っていると聞いて「ドイツ人の次は日本人か!」と笑っていたそうです。

パートナーのゴルフ仲間の父親も戦争で亡くなったそうですが「あれは戦争だったから仕方ないよ。」と言っていたそうで、ここら辺の認識は人によっても違いそうですね。

ガリポリ上陸作戦

さて、冒頭で少し触れましたが、アンザックデーはアンザック軍がトルコのガリポリ半島へ上陸した日ってどういう事?と思う人も多いと思うので、ここでざっくりと説明します。

第一次世界大戦 (Great War / 1914 – 1918) は主にヨーロッパで行われた戦争だったので、日本人は第二次世界大戦の事はよく知っていても第一次世界大戦についてはあまりなじみがないかもしれません。

この戦争は、連合国と呼ばれるイギリス・フランス・ロシアなどの27カ国と、同盟国と呼ばれるドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリとの戦いでした。

1901年にイギリスから独立したオーストラリアは、当時イギリスから移民してきた人たちが多かったので、イギリスを祖国と思っていたオーストラリア人も多かったそうです。

オーストラリアはイギリスに加勢しようと、同じくイギリスの植民地であったニュージーランドも合わせて、志願兵を募りアンザック軍を作りました。

そして後に行われたガリポリ上陸作戦は、アンザック軍にとって初めての本格的な海外遠征でした。

ガリポリ半島 (Gallipoli Peninsula) は現在のトルコの東側にある半島です。

イギリス連合軍は、味方のロシアから依頼を受けてオスマン帝国の首都コンスタンチノープル (現在のイスタンブール) を奪取する為、ガリポリ半島の要塞を奇襲する作戦を立てます。

16世紀には広大な領土を誇っていたオスマン帝国 (オスマントルコ) は、第一次世界大戦の頃には領土を失い続け「ヨーロッパの瀕死の病人」とまで言われるほど衰退していたので、連合軍はオスマン帝国を過小評価していました。

上陸作戦は1915年4月25日に実行され、イギリス軍、フランス軍、アンザック軍で5カ所に分かれてガリポリ半島の上陸を開始。

連合軍側の圧勝だと思っていた予想に反して、オスマン帝国側は海岸にはすでに多数の砲台を設置して待ち構えていて、戦術にたけた最精鋭部隊が配置され、ダーダネルス海峡全域に機雷を敷設。上陸作戦は予想を上回る激しい攻撃を受けました。

この時上陸したのは5カ所のうち2カ所は撤退、アンザック軍は何とか上陸し、猛攻撃を受けながらも敵の拠点を確保しましたが、結果的に失敗。

結局この作戦は8カ月続き、何度も何度も決行されましたがいずれも上手くいかず、目的を果たせないまま12月に撤退しました。

この戦いでアンザック軍だけでも1万人以上の戦死者が出ています。

オスマン帝国軍 : 戦死86,692人、戦傷164,617人
イギリス軍 : 戦死21,255人、戦傷52,230人
フランス共和国軍 : 戦死約10,000人、戦傷約17,000人
オーストラリア軍 : 戦死8,709人、戦傷19,441人
ニュージーランド軍 : 戦死2,701人、戦傷4,852人
イギリス領インド帝国軍 : 戦死1,358人、戦傷3,421人
カナダ軍 : 戦死49人、戦傷93人

これ以外に、長い塹壕戦のため約140,000人の連合軍兵士が腸チフスや赤痢で病死したと推定されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ガリポリの戦い

アンザック軍が上陸したエーゲ海の南側の入り江は、後にアンザック湾 (Anzac Cove) と呼ばれるようになり、現在でもアンザックデー にはオーストラリアやニュージーランドを含め多くの人が訪れています。

ガリポリ半島歴史国立公園の中にあるオーストラリア兵を助けるトルコ兵像

アンザック神話とは

このニュースはオーストラリアとニュージーランドに大きな衝撃を与え、彼らの勇気ある行動はオーストラリアで大きく報道され、次第に “アンザック神話” まで生まれました。

つまり、アンザック軍の流した血は国家が成熟したものになる為の犠牲であり、オーストラリア人の国民性とアイデンティティを形成する為の犠牲であった。この犠牲によってオーストラリアはオーストラリアになり得たのだという考え方です。

こうしてオーストラリア各地には記念碑が建てられ、作戦が敢行された日はアンザックデーの祝日となりました。

この神話は今でも健在のようです。

1788年にイギリスの植民地として始まった白人によるオーストラリアの歴史は浅く、国として独立したのは1901年、移民の多いオーストラリアではしばしばアイデンティティの問題が浮上しています。

現在のオーストラリアはアジア人割合も多く、4人に1人がオーストラリア以外の国で生まれたと言われているこの国のアイデンティティは近年消えつつあり、そんな時にアンザック神話のように国民性を共有する神話のようなものは必要なのかもしれません。

アイデンティティに関しては難しい問題ですね。

おわりに

第二次世界大戦では日本とオーストラリアは敵国でしたが、第一次世界大戦後では日本はイギリスと同盟を結んでいたので、オーストラリアは味方同士でした。

アンザック軍をガリポリまで護衛したのは、実は日本の海軍だったそうです。

結局この戦争は1917年にロシア革命が勃発し、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した事によりロシアは戦線離脱。

1918年9月にブルガリア、10月にオスマン帝国、オーストリアが降伏し、ハプスブルク家は崩壊。

11月にはドイツで革命が起こり、ドイツ帝国はドイツ共和国に。

1918年11月11日にドイツが降伏し、イギリス連合軍側の勝利で第一次世界大戦は終結しました。

オスマン帝国は滅亡し1923年にトルコ共和国が成立しています。

このガリポリの話はメル・ギブソン主演の映画『Gallipoli (1981年制作)』にもなっているので、もっと詳しく知りたい人は観ると良いかもしれません。

日本人としても、しっかり歴史を知っておきたいですよね。

 

こんなアンザックデーも

オーストラリアの日本人捕虜の話