11月11日はリメンバランスデー (Remembrance Day) というオーストラリアにとって特別な意味のある日です。
リメンバランスデー、終戦記念日をオーストラリア・イギリスではこう呼び、カナダやアメリカなどでも毎年午前11時に黙祷が行われます。そして、2018年はちょうど第一次世界大戦終結から100周年でした。
戦没者記念日というと4月25日のアンザックデー (ANZAC Day) も有名なのですが、最近オーストラリアに来る日本人はそれすら知らない人が多いので、この日もあまり知られていないでしょうね。
アンザックデー の事を以前記事にした時は想像以上にアクセスが伸び、アンザックデーを初めて知ったという人もいたようですので、今回はリメンバランスデーについて書きたいと思います。
日本人は知ってて欲しいアンザックデーについて
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リメンバランスデーとは
リメンバランスデーと定められている日は、第一次世界大戦が終結した日です。
第一次世界大戦には日本はあまり関わっていないのでなじみがないかもしれませんが、オーストラリアはニュージーランドと一緒にアンザック軍を編成し、イギリスに参戦しました。
(アンザックは Australian and New Zealand Army Corpsの略)
1918年11月11日、4年に及ぶ激しい戦いの末ドイツが降伏。この戦争で7千万人以上の人が動員され、9〜1300万人の人が亡くなった言われています。
1919年の終戦1周年には、当時ロンドンで働いていたオーストラリア人ジャーナリストであるエドワード・ハニー (Edward Honey) の提案によってロンドンで2分間の黙祷が行われ、翌年には100万人の人たちがこの式典に参加しました。
当時のイギリス国王ジョージ5世はこの日を戦没者追悼記念日に制定しています。
オーストラリアの記念日制定
11月6日 ウィンヤードにて。
黙祷をするようになった当初、リメンバランスデーは “休戦日 (Armistice Day) ” と呼ばれていましたが、第二次世界大戦が終結すると、オーストラリアとイギリス政府によってこの日は “思い偲ぶ日”、つまりリメンバランスデーと名前が変わり、戦争で亡くなった全ての人たちを追悼する日となりました。
オーストラリアは1993年まで正式な記念日としては定められていませんでしたが、戦後75周年を迎えたこの年にフランスの軍事墓地に埋められていた第一次世界大戦の兵士たちの遺体がオーストラリアのオーストラリアのメモリアルホール (Memorial’s Hall of Memory) に移された事をきっかけに、再び注目を浴びました。
そして4年後の1997年、ウィリアム・ディーン総督 (Governor-General Sir William Deane) によって、正式に11月11日が戦没者記念日と発表さたのです。
(参考: https://www.awm.gov.au)
最近、町などでポピーの造花を売っているのを見た人もいるかもしれませんが、ポピーの花は戦没者の象徴です。
ポピーの花の意味と由来
追悼式
シドニーのハイドパークにて。
2018年、シドニー時間10.30am にチャンネル2 で追悼式の様子が放送されたので観ました。
テレビでは主にキャンベラにある戦争記念館の式典の様子が映される他、シドニーや他の都市の様子も見る事が出来ました。夏はデイライト・セービングにより国内で時差が生じる為、1時間後にはクイーンズランドの式典が始まります。
おわりに
日本ではほとんど知られていませんが、オーストラリアでは日本軍によるダーウィン攻撃など特に有名ですし、カウラという地域ではかつて多くの日本人捕虜がなくなり埋葬され、今でも毎年供養されているのですから、決して日本人も無関係ではありません。
オーストラリアにいるのでしたらこの時間に少し手を止めて、黙祷してはいかがでしょうか。