シドニー中心部にあるハイドパーク北の東側にあるセントメリーズ大聖堂 (St Mary’s Cathedral) は、オーストラリアで最も古く大きな大聖堂で、この国のカトリック教会の総本山的存在です。
サンドストーンで出来たゴシック・リバイバル様式の建物は、1821年に建設された最初の大聖堂が1865年に焼失したため、その後100年以上かけて完成されました。
一般にも公開されているので、観光客が立ち寄る場所としても人気があります。
セントメリーズ大聖堂
歴史ストリートと呼ばれるマッコーリストリート近くにあるセントメリーズ大聖堂。
最寄駅は St James 駅ですが、ミュージアム駅も近いですし、Town Hall 駅からも徒歩10分くらいです。
セントメリーズ大聖堂は、平日午前6時30分から午後6時30分まで、週末は午後7時まで無料で一般公開されています。
観光客にも人気がある場所ではありますが、礼拝する場所なので、教会の人や参拝者の迷惑にならないように敬意を払って見学してくださいね。
大聖堂を見学するにあたって
大聖堂の中の写真撮影は許可されていますが、ミサや行事がある時は禁止です。フラッシュも使わないように気をつけてください。
服装は短いスカートや裸足、肩を出した服装は避けた方が無難です。それから、大聖堂に入る前に帽子は脱ぐこと。
携帯電話の使用や飲食の持ち込み、大声で話すなどもダメです。
見どころ
中に入ったらみて欲しいのは、イギリスのバーミンガムにある Hardman Studio で作られ、1880年代後半にオーストラリアに運ばれたステンドグラスです。
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それと、毎日正午になると鳴らされる鐘の音も機会があったら聞いてみてください。
事前予約が必要ですが、毎週日曜日の午後2時には無料のガイドツアーも開催しています。(詳しくはウェブサイトをチェックしてくださいね)
特別な時以外には公開されていませんが、西側の身廊に地下室に通じる階段があり、下はモザイクの美しい地下埋葬室 (Crypt) になっています。そこには初代神父のジョン・ジョセフ・テリーやシドニーの大司教たちの遺骨が収められています。
セントメリーズ大聖堂の前にある広場は、ウインターフェスティバルなどの会場になることもありますし、クリスマス時期には大聖堂の壁にライトアップされるのが風物詩になっています。この時期にシドニーにいるなら、ぜひ見てみてください。
セントメリーズ大聖堂側から見た敷地
ハイドパーク北、噴水があるあたりから眺めるセントメリーズ大聖堂もきれいですよ。
1788年にシドニーに西洋人が入植し、植民地時代初期から何世代にもわたってキリスト教、特にカトリック信仰の場所として役割を果たして来たセントメリーズ大聖堂。
ではここからは、歴史について触れていきましょう。
セントメリーズ大聖堂の歴史
最初にも少し触れましたが、セントメアリーズ大聖堂は1865年6月26日の夜に火災が発生し、建物の一部を除いてほぼ全焼しています。
シドニーの古い建築でよく見られるサンドストーンが使用されている現在の建物は、建築家ウィリアム・ウォーデル (William Wardell) が、ジョン・ポルディング大司教 (Archbishop John Polding) から設計を依頼されて建てられました。
…ですが、完成には長い年月がかかっています。
100年近くかけて完成したセントメリーズ
1882年9月に北側の窓、鐘楼、翼廊 (建物に対して十字形に広がっている部分) を含む最初のセクションが完成し、セントメリーズ大聖堂はまだ未完成でしたが1900年9月に正式にオープンしました。
そして、1913年に身廊と塔を含む最後の南側セクションの礎石が設置され、1928年に大聖堂の最終式典が行われています。
しかしこの時はまだ、当初設計されていた南正面の2本の尖塔は資金不足により設置されておらず、ヘリコプターで設置されたのは建設開始から135年後の2000年のことです。
そんなに長い時間かかっているなんて、ちょっとびっくりしますよね。
では、最初のセントメリーズ大聖堂についても、重要なので少し触れておきます。
最初のセントメリーズ大聖堂
最初の建物は、1821年に建設が始まりました。
ジョン・ジョセフ・テリー神父 (John Joseph Therry) が、カトリック礼拝堂の必要性を感じ、今日シドニーのインフラを整えたことで知られているマッコーリ総督にカトリック礼拝堂を請願して実現したものです。
その設計をしたのが、元囚人フランシス・グリーンウェイ (Francis Greenway) でした。
ちなみに、セントメリーズ大聖堂のすぐ近くにあるハイドパークバラックスも、マッコーリ総督がフランシス・グリーンウェイに設計を依頼して建てた囚人宿舎です。
現在ハイドパークバラックスは、オーストラリアの囚人遺跡群のひとつであり、UNESCO の世界遺産にも登録されています。
博物館になっているので、大聖堂を見た後に見学しても良いかもしれませんね。
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ただ、テリー神父はグリーンウェイのシンプルなデザインよりも、もっと手の込んだものを望んでいたようです。
テリー神父は教会建設のための資金集めに奔走しましたが、1831年まで屋根もない状態で、最初のミサが行われたのは1833年12月のことだったと言います。
1835年にはオーストラリア初のカトリック司教であるジョン・ポルディング大司教 (Archbishop John Polding) が到着し、教会から大聖堂へと昇格しました。
1822年から1828年にかけて、教会の北東には聖ジョセフ礼拝堂 (St Joseph’s Chapel) や2つの聖職者用の住居、そして学校なども建設。1843年にはオーガスタス・ピュージン (Augustus Pugin) の設計により、イギリスのロンドンにある Whitechapel Bell Foundry で作らた8個の鐘がついたベルタワーが建設されています。(鐘は2度交換され、現在の14個の鐘は1980年代にオーストラリアに輸入されたもの)
その後もセントメリーズ教会は拡大、増築さていきました。
1865年に火災で焼失してしまった後、ポルディング大司教はピュージンの友人であり、壮大なゴシック・リバイバル様式に定評があった建築家ウィリアム・ウォーデル (William Wardell) に設計を依頼。
そして、それが100年以上かけて完成された今の大聖堂です。
世界文化遺産であるシドニーのオペラハウスも「一生完成しないのではないか」と言われるくらい建設に時間がかかりましたが、それよりもはるかに長い年月を費やしているんですね。
おわりに
シドニーは近代的なビルも多いですが、100年以上前に建てられたサンドストーンの建物が現役で使われていることも珍しくありません。
礼拝の場だけあって、私は建物の中に漂う空気に触れると、思わず何かを祈りたくなるような気持ちになります。
(参考: History of the Cathedral – Living our heritage | St Mary’s Cathedral Sydney)