アンザックデーのポピーの花の由来とフランダースフィールドの詩

アンザックデーのポピーの花の由来とフランダースフィールドの詩

少し前にアンザックデーについての記事を書いたのですが、タイトルがキャッチーだったのもあってか予想以上にアクセスがあり驚いています。

 

 

私のブログを読んでくれたリアルの知人数人から「あの記事を読んで初めてアンザックデーの事を知りました。」と言われたので、やっぱり書いて良かったと思いました。海外に出て気付くのは、学校では教えてくれなかった事がたくさんあるということです。

さて、アンザックデーの象徴といえばポピーの花ですよね。
でも何故ポピーの花が使われるようになったのか、不思議に思った人もいるのではないでしょうか?

その事について詳しく調べてみました。

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ポピーの花

ポピーの花はオーストラリアだけではなく、イギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランドと、かつて連邦国として戦った国々にとって共通のシンボルでもあります。

真っ赤なポピーの花が戦場一面に咲いていた事から戦没者の象徴となりましたが、それが多くの人々に広まるようになったきっかけは『フランダースフィールドに (In Flanders Fields) 』という有名な詩です。

第一次世界大戦中の1915年、ロンドンの Punch誌8月号に匿名でその詩が掲載されると、それはたちまち人々の共感を呼び広がっていきました。

この詩はカナダ人軍医であったジョン・マクレー (John McCrae 1872 – 1918) の書いたもので、ベルギーの第二次イーぺルの戦い (Second Battle of Ypres) で砲弾によって親友を失った彼は、その遺体を埋葬した翌日に詩を書いたのです。

おびただしい数の戦死者がフランドルの地に埋葬され、その十字架の間に咲く真っ赤なポピーの花。

ベルギーの西端に位置するフランドル地方イーペル(Ypres)は、第一次世界大戦中にドイツ軍と連合軍が戦った激戦地のひとつで、多くの犠牲者を出しました。ドイツ軍が新兵器として初めて毒ガスを使用した悲しい歴史の残る地でもあります。

毒ガスの後遺症や肺炎などを併発して1918年1月、彼も終戦を待たず亡くなってしまいましたが、その詩はイギリスを始めとする国々へ広がり、募金活動へと発展。今日でも最も有名な戦争の詩として知られています。

このポピーの花はアンザックデー だけではなく、Remembrance Day (またはポピーデー) と定められた第一次世界大戦終結記念日の11月11日にも胸に赤いポピーを付け、追悼の意を表します。

詩が作られて100年目にあたる2015年には、オーストラリアでも220万枚限定で記念コインが発行されました。
オレンジ色の光の輪の周りにヒバリが飛んでいます。

 

 

ジョン・マクレーの詩

そのジョン・マークレーの詩です。
※ 訳は私がしました。

In Flanders Fields

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

フランダースフィールドにポピーが揺れる
十字架の間に何列も何列も
あれはオレたちのいる場所
そして空にはひばりが今でも勇敢に歌って飛んでいる
下にもかすかに聴こえる銃弾の音

We are the dead, short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

オレたちは死んだ
数日前までオレたちは生きて、
朝日を感じ、日没の輝きを見た、愛し愛されてた
そして今はフランダースフィールドに横たわっている

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.

戦いを続けてくれ
朽ちた手からおまえたちに投げた明かりを
今後はおまえたちが高く掲げてくれ
もし死んだオレたちの想いを裏切ったら
オレたちは眠れないだろう
フランダースフィールドにポピーが咲きみだれても

ポピーの花を購入する

そういえば、多分私は今までポピーの花を買った事がないので、今年は買ってみようと思いました。

身に付ける事で戦没者に追悼の意を表し、収益金は戦没者の慰霊および遺族への支援金として使わるというポピーの花は、アンザックデーが近くなると色んな場所で売っているのを目にします。
でも、日本人の私が買って良いのかとか色々考えてしまって、何となく買いそびれていたんですよね。

そして今回知ったのですが、ポピーも種類が色々あるんですね。

ピットストリートモールで小さな箱を抱えたご年配のオージー夫婦 (?) が立ってポピーを売っていたので、おじいさんの持ってた箱を覗くと、中は何種類かのポピーやピンバッチがしきりで区切られていて入っていてどれを買うか迷いました。

購入したのは、赤いポピーと紫色のポピー、それに茎のついたもの。

ポピーの裏にはピンが付いていて、胸に付けられるようになっています。

ポピーの色の意味

赤いポピーはよく見ますが、紫はあまり見た事がないので調べてみました。

調べてみると、紫色のポピーは戦争で犠牲になった動物たちを偲ぶ意味が込められているとの事で、2006年にイギリスの動物愛護団体が始めたんだそうです。

Wikipediaによると、イギリスで第一次世界大戦中に人間の都合によって殺された動物は、馬とロバが約800万頭。第二次世界大戦では一週間に75万匹の犬が殺されたのだとか。

他にも白いポピーも存在するそうですが、これは平和の象徴として民間人やイギリス連邦国以外のあらゆる人を含む戦争犠牲者を意味し、過去にはこの白いポピーが賛否両論を引き起こし弾圧された歴史もあったようなので、売られてませんし付けない方が無難でしょう。

オーストラリア人って何だろう

アンザックデー前のマーティンプレイスは警官がたくさん立っていて、何となく緊張感が漂っていました。

ポピーを売る出店も出ていて、早朝に行われるドーンサービスに向けて兵隊の像のたもとに少しずつ花束が供えられています。

アンザックデーは故人を追悼する日であると同時に、オーストラリア人のナショナリズムを刺激される日でもあります。

少し長くオーストラリアに住んでいると「君ももうオージーだね!」と言ってくるオーストラリア人は多く、今まで色んな人から何度も言われて来ましたが、本当のところ一体どこまで私たちのようなアジア系の移民を受け入れてるんでしょうね?

白豪主義はとっくの昔に廃止されましたが、やっぱりアジア人差別はあると感じる事もありでも、日本人の私からすると、国が受け入れてくれただけでもすごい事だなとありがたく思っています。

オーストラリアには住んでいても私のアイデンティティは間違いなく日本人で、この先もオーストラリア人にはなれないだろうと思っていますが、それで良いと思っています。

もっともっと知れば、私はオーストラリア人に近付けたりするんでしょうか。

そもそも現在のオーストラリアには、アンザックとは関係のないルーツを持つ移民系のオーストラリア人もたくさんいる訳ですが、彼らはアンザックデーをどんな気持ちで見てるんでしょうね。

おわりに

アンザックデーの日、私は仕事でした。

シティを歩いているとそこら中にイギリスの民族楽器の音が響いていて軍服を着た人たちがたくさん歩いていてタイムスリップした気分になりました。

アンザックデーの日前後になるとテレビなどで戦争特集などが組まれ、日本人がオーストラリアを爆撃して多くのオーストラリア人が亡くなっている話などが放送されます。

オーストラリアでは、第二次世界大戦中の日本軍によるダーウィン爆撃は今でも大きな事件として語り継がれているのに、日本人は攻撃した自体知らない人が多いですよね。

退役軍人の行進を横目に「今日って何の日?」と能天気に町を歩く若い日本人たちを想像したら、何だかとっても滑稽に思えてしまうのです。

最近はネットやSNSの普及で、ひと昔前に比べると海外との隔たりがかなりなくなってきているのを感じます。

オーストラリア行きは私にとってかなりの覚悟を迫られた一大イベントでしたが、今の子たちを見てると簡単にポーンとくる感覚だからなのか、何も予備知識も持たずに来る子がとても多いのには驚かされます。

カウラの捕虜大脱走事件も然り、そういう話は海外に出てから慌てないようにある程度日本の学校で教えてくれたら良いと思うのですが。

だからこそ、私なりにブログで発信していこうと思っているのです。