アンザックデーのポピーの花の由来とフランダースフィールドの詩

アンザックデーのポピーの花の由来とフランダースフィールドの詩

少し前にアンザックデーについての記事を書いたのですが、タイトルがキャッチーだったのもあってか予想以上に集中的にアクセスがあり驚いています。
かつて日本人は外に出ない方が良いと言われいたアンザックデー

私のブログを読んでくれたリアルの知人数人から「あの記事を読んで初めてアンザックデーの事を知りました。」と言われたので、やっぱり書いて良かったと思いました。

 

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知る事の大切さ

最近はネットやSNSの普及で海外にいながらも簡単に日本と繋がる事が出来、ひと昔前に比べると海外との隔たりがかなりなくなってきているのを感じます。

それが当たり前に育った子たちが増えて来たからかは分かりませんが、オーストラリアに来るのにガイドブックさえ持たず、それどころか住む国の情報、気温さえ調べて来ないワーキングホリデーの子たち多さには驚かされます。

「必要な事は誰か周りの人が教えてくれるから。」

うーん、それって誰も知らなかったら教えてくれる人がいないっていう事ですよね。
まあ、それもありでしょうね。

私にとって海外に来る事はかなりの覚悟を迫られた一大イベントでしたが、今の子たちを見てると簡単にポーンとくる感覚だからなのかな?とか思ってます。

とにかく、私はその国の歴史や文化にある程度の理解を持つ事がその国に対するリスペクトだと思ってますし、とても興味深い事だと思うのでシェアしようと歴史の記事を書いてみるのですが、そういう記事は観光などの記事に比べるとあまり人気がありませんね(笑)

それでも興味を持ってくれる子もいるようで、私自身好きなのでこれからもマニアックに書き続けようと思ってます。

だから、アンザックデーのアクセスにはびっくりしました。
一気に私のブログ内人気記事8位にランクインです。

それにしても、アンザックデーの日前後になるとテレビなどで戦争特集などが組まれ、日本人がオーストラリアを爆撃して多くのオーストラリア人が亡くなっている話などが放送されます。

オーストラリアでは、第二次世界大戦中の日本軍によるダーウィン爆撃は今でも大きな事件として語り継がれているのに、日本人は攻撃した自体知らない人が多いですよね。

退役軍人の行進を横目に「今日って何の日?」と能天気に町を歩く若い日本人たちを想像したら、何だかとっても滑稽に思えてしまうのです。

ニコール・キッドマン主演の映画『オーストラリア』の中でも、日本軍がダーウィンを爆撃するシーンがあるのですが、実際はオーストラリアに上陸はしてない日本兵が、映画では上陸して残虐な行為をするシーンがあるんです。

それって知らない人が見たら信じますよね。何となく日本に対する悪意のようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。

カウラの捕虜大脱走事件も然り、そういう話は海外に出てから慌てないようにある程度日本の学校で教えてくれたら良いと思うのですが。

ポピーの花

ところでそのアンザックデーの記事を書いてから、今年こそはポピーの花を買ってみようと思いました。

花といっても造花で、裏にピンが付いています。
アンザックデーが近くなると色んな場所で売っているのを目にするんですが、何となく気後れして買った事はなかったんですよね。

この花は身に付ける事で戦没者に追悼の意を表し、収益金は戦没者の慰霊および遺族への支援金として使わるそうです。

ピットストリートモールを歩いていると、小さな箱を抱えたオージーのおじいさんとおばさんが立ってポピーを売っていたので、勇気を出して買ってみました。

おじいさんの持ってた箱の中は、何種類かのポピーやピンバッチがしきりで区切られていて入っていて、どれを買うか迷いました。

赤いポピーと紫色のポピー。それに茎のついた花も。

特に気になったのが紫色のポピー。赤はよく見ますが紫は初め見ました。
この紫色のポピーは戦争で犠牲になった動物たちを偲ぶ意味が込められているそうで、2006年にイギリスの動物愛護団体が始めたんだそうです。

Wikipediaによると、イギリスで第一次世界大戦中に人間の都合によって殺された動物は、馬とロバが約800万頭。第二次世界大戦では一週間に75万匹の犬が殺されたのだとか。

他にも白いポピーも存在するそうですが、これは平和の象徴として民間人やイギリス連邦国以外のあらゆる人を含む戦争犠牲者を意味し、過去にはこの白いポピーが賛否両論を引き起こし弾圧された歴史もあったようです。

最も有名な戦争の詩

先ほどイギリスの名前が出て来ましたが、ポピーの花はオーストラリアだけではなく、イギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランド…、かつて連邦国として戦った国々にとって共通のシンボルでもあります。

真っ赤なポピーの花が戦場一面に咲いていた事から戦没者の象徴となりましたが、それが多くの人々に広まるようになったのは『フランダースフィールドに(In Flanders Fields)』という詩からです。

第一次世界大戦中の1915年、ロンドンのPunch誌8月号に匿名で掲載されたその詩は、カナダ人で軍医であったジョン・マクレー(John McCrae 1872 – 1918)の書いたものでした。

ベルギーの第二次イーぺルの戦い(Second Battle of Ypres)で砲弾によって親友を失った彼は、その遺体を埋葬した翌日に詩を書いたのです。

おびただしい数の戦死者がフランドルの地に埋葬され、その十字架の間に咲く真っ赤なポピーの花。

ベルギーの西端に位置するフランドル地方イーペル(Ypres)は、第一次世界大戦中にドイツ軍と連合軍が戦った激戦地のひとつで、多くの犠牲者を出しました。
ドイツ軍が新兵器として初めて毒ガスを使用した悲しい歴史の残る地でもあります。

彼の詩は以下の通りです。

In Flanders Fields

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

フランダースフィールドにポピーが揺れる
十字架の間に何列も何列も
あれはオレたちのいる場所
そして空にはひばりが今でも勇敢に歌って飛んでいる
下にもかすかに聴こえる銃弾の音

We are the dead, short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

オレたちは死んだ
数日前までオレたちは生きて、
朝日を感じ、日没の輝きを見た、愛し愛されてた
そして今はフランダースフィールドに横たわっている

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.

戦いを続けてくれ
朽ちた手からおまえたちに投げた明かりを
今後はおまえたちが高く掲げてくれ
もし死んだオレたちの想いを裏切ったら
オレたちは眠れないだろう
フランダースフィールドにポピーが咲きみだれても

 

毒ガスの後遺症や肺炎などを併発して1918年1月、終戦を待たず亡くなってしまった彼ですが、その詩はイギリスを始めとする国々へ広がり、募金活動へと発展。今日でも最も有名な戦争の詩として知られています。

イギリスは毎年11月11日は第一次世界大戦終結を記念したRemembrance Day(またはポピーデー)と定め、その日が近づくと多くの人たちが胸に赤いポピーを付けます。

詩が作られて100年目にあたる2015年には、オーストラリアでも220万枚限定で記念コインが発行されました。
オレンジ色の光の輪の周りにヒバリが飛んでいます。
色のついた$2コイン

オーストラリア人って何だろう

アンザックデー前のマーティンプレイスは警官がたくさん立っていて、何となく緊張感が漂っていました。

ポピーを売る出店も出ていて、早朝に行われるドーンサービスに向けて兵隊の像のたもとに少しずつ花束が供えられていました。

アンザックデー 。
故人を追悼し、オーストラリア人のナショナリズムを刺激される日。

少し長くオーストラリアに住んでいると「君ももうオージーだね!」と言ってくるオーストラリア人は多く、今まで色んな人から何度も言われて来ました。

でも本当のところ、心情的に一体どこまで移民を受け入れられてるんでしょうね?
日本人の私からすると、国が受け入れてくれただけでもすごい事だなと思ってしまうんですが。

白豪主義はとっくの昔に廃止されましたが、やっぱりアジア人差別はあると感じる事もあります。

白人に憧れて同化しようとしている日本人も知ってますし、アジア人だけでかたまっているコミュニティもたくさん存在します。

そしてオーストラリアには住んでいても私のアイデンティティは間違いなく日本人で、この先もオーストラリア人にはなれないだろうと思っていますが、それで良いと思っています。

特にこのブログを書き始めてからはオーストラリアの歴史をより深く知る事になり、歴史と共に泣いたり笑ったりする機会が増えました。
もっともっと知れば、私はオーストラリア人に近付けたりするんでしょうか。

そもそも現在のオーストラリアには、アンザックとは関係のないルーツを持つ移民系のオーストラリア人もたくさんいる訳ですが、彼らはアンザックデーをどんな気持ちで見てるんでしょうね。

 

アンザックの日

今年のアンザックデーの日、私は仕事。

シティを歩いていると、そこら中にイギリスの民族楽器の音が響いていて軍服を着た人たちがたくさん歩いていました。

日本人は戦後と戦前では大きく変わってしまいましたが、オーストラリアでは当時も今とさほど変わらず、こんな風に軍服を着た人たちが笑って町を歩いていたのでしょうか。

何となく色んな事を考えてしまった不思議な日でした。