オーストラリアでは、4月25日のアンザックデーや11月11日のリメンバランスデーなど、戦没者に祈りを捧げる日があります。
そして、そういった戦争に関する行事には、ポピーの花が象徴として使われ、当日は胸につけたり飾られていたりします。
でも、なぜポピーなのでしょうか?
それについて調べていくと、ジョン・マクレーの『フランダースフィールドで』という詩に行きつきます。
戦没者に追悼の意を示すポピーの花
アンザックデーはオーストラリアとニュージーランド軍を、リメンバランスデーは第一次世界大戦終結した日にイギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランドなど、かつて連邦国として戦った国々で戦没者を追悼します。
特にリメンバランスデーはポピーデーとも呼ばれ、赤いポピーの花がシンボルとして使われるのはオーストラリアだけではありません。
これを身に付ける事で戦没者に追悼の意を表す事になるのです。
行事が近くなると、駅前や商店街など様々な場所で造花のポピーを売る人を見掛けるようになります。そして、その収益金は戦没者の慰霊および遺族への支援金として使わるそうですよ。
ポピーの花を購入
今まで何となく自分が日本人という引け目?(日本人はオーストラリアを攻撃した唯一の国) のような遠慮のような気おくれ感があって、遠くから見ているだけでだったのですが、今年は初めてポピーの花を購入してみました。
シドニーのピットストリートモールで小さな箱を抱えたご年配のオーストラリア人夫婦と思われる人から買ったのですが、ポピーって意外と種類があるんですね。
おじいさんの持ってた箱を覗くと、仕切りで区切られた中に何種類かのポピーやピンバッチが色々入っていました。
どれを買うか迷いましたが、赤いポピーと紫色のポピー、それに茎のついたものを購入。ポピーは赤と思い込んでいたので、紫があって驚きました。
ポピーの裏にはピンが付いていて、胸に付けられるようになっています。
ポピーの色にも意味がある
色にはどんな意味があるのか調べたら、赤いポピーは最初に書いたように戦没者に追悼の意を表していますが、紫色のポピーは戦争で犠牲になった動物たちを偲ぶ意味が込められているとの事で、2006年にイギリスの動物愛護団体が始めたんだそうです。
Wikipediaによると、イギリスで第一次世界大戦中に人間の都合によって殺された動物は、馬とロバが約800万頭。第二次世界大戦では一週間に75万匹の犬が殺されたのだとか。
他にも白いポピーも存在するそうですが、これは平和の象徴として民間人やイギリス連邦国以外のあらゆる人を含む戦争犠牲者を意味するとの事。ただ、この白いポピーは賛否両論があり、過去には弾圧された歴史もあったようなので、おそらく今は見る事はないのではないでしょうか。
そして、なぜ赤いポピーなのかというと、それはある詩が関係しています。
赤いポピーが象徴となった由来
赤いポピーが戦没者の象徴として使われるようになったのは、カナダ人軍医であったジョン・マクレー (John McCrae 1872 – 1918) が書いた『フランダースフィールドで (In Flanders Fields) 』という詩がきっかけです。
ベルギーの第二次イーぺルの戦い (Second Battle of Ypres) で砲弾によって親友を失ったマクレーが、その遺体を埋葬した翌日にこの詩を書きました。
おびただしい数の戦死者がフランドルの地に埋葬され、その十字架の間一面に真っ赤なポピーの花が咲いていたそうです。
1915年にロンドンの Punch誌8月号に匿名で掲載されたその詩は、たちまち人々の共感を呼びました。
In Flanders Fields
(フランダースフィールドで)
In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.
フランダースフィールドにポピーが揺れる
十字架の間に何列も何列も
あれはオレたちのいる場所
そして空にはひばりが今も勇敢に歌って飛んでいる
下にもかすかに聴こえる銃弾の音
We are the dead, short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved and were loved, and now we lie
In Flanders fields.
オレたちは死んだ、数日前に
オレたちは生きていていた、夜明けを感じ、輝く日没を見て
愛しているし愛してた
そして今はフランダースフィールドに横たわっている
Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.
戦い続けてくれ
朽ちた手からおまえたちに投げた明かりを
今後はおまえたちが高く掲げてくれ
もし死んだオレたちの想いを裏切ったら
オレたちは眠れないだろう
フランダースフィールドにポピーが咲きみだれても
ベルギーの西端に位置するフランドル地方イーペル (Ypres) は、第一次世界大戦中にドイツ軍と連合軍が戦った激戦地のひとつで、多くの犠牲者を出しました。ドイツ軍が新兵器として初めて毒ガスを使用した悲しい歴史の残る地でもあります。
マクレーも毒ガスの後遺症や肺炎などを併発して1918年1月、彼も終戦を待たず亡くなってしまいました。しかし、その詩はイギリスなどの国々へ広がり、募金活動へと発展。今日でも最も有名な戦争の詩として生き続けています。
余談ですが、詩が作られて100年目にあたる2015年には、オーストラリアでは220万枚限定で記念コインが発行されました。オレンジ色の光の輪の周りにヒバリが飛んでいます。
アンザックデーに個人的に感じた事
2018年のアンザックデーの日、私は仕事だったので、いつものようにシティを歩いていました。
そこら中にイギリスの民族楽器の音が響いていて軍服を着た人たちがたくさん歩いていたり、マーティンプレイスに警官がたくさん立っていて何となく緊張感が漂っていたり。ポピーを売る出店も出ていて、早朝に行われるドーンサービスに向けて兵隊の像のたもとに少しずつ花束が供えられています。
ふとオーストラリアは何十年も何十年もこんな朝を迎えたんだな…と思うと、タイムスリップしたような妙な気分になりました。
現在のオーストラリアにはアンザックとは関係のないルーツを持つ移民系のオーストラリア人もたくさん住んでいますし、当時敵国だった国がルーツの人もいるわけなので、複雑な日かもしれません。もう戦争に対して実感がわかない人も多いでしょうしね。
それでも毎年たくさんの祈りや花が捧げられているのです。
おわりに
少し前に4月25日のアンザックデーについて記事を書いたのですが、予想以上にアクセスがあり、私のブログを読んでくれたリアルの知人数人から「あの記事を読んで初めてアンザックデーの事を知りました」と言われたので、やっぱり書いて良かったと思いました。海外に出ててみると、知らなかった事がたくさんありますよね。
とは言え、私のパートナーは生粋のオーストラリア人ですが、こういう事にそんなに関心がある方ではありません。
気さくなオーストラリア人の中には、私が少し長くオーストラリアに住んでいると知ると「君ももうオージーだね!」と言って来る人もいますが、私はやっぱり自分は日本人だと思います。
そんな日本人の私がオーストラリア人パートナーよりも関心があるのが、ちょっと不思議と言えば不思議ですね。
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